世界仏教徒会議で講演
2008年4月30日(水)
 

佛立新聞平成19年2月号~6月に掲載
●世界仏教徒会議で佛立宗をアピール
福岡日雙師が大乗仏教代表として講演

   去る1月14日、スリランカのコロンボ市の大ホール・BMCIHにおいて、国際仏教徒協会(I・B・O 本部シンガポール)主催、スリランカ政府後援の国際仏教徒会議が関係者約500人の参列の下、開催された。
   福岡日雙師(神戸・香風寺住職)は、この会議に大乗仏教界の代表として招かれ、「法華経、日蓮聖人の教えと修行をスリランカに伝える意義」と題する講演を英語で行い、聴衆に本門佛立宗の信仰のエッセンスを伝えた。
   福岡日雙師は9年前、単身自費でスリランカに赴き、以来これまで30回にわたって同国の各地を巡って布教活動を展開してきた。
   当初、地元の人々約20人を集めて本門佛立宗スリランカグループを結成されたが、現在は1万人以上の人々が佛立宗に入信、熱心にご信心に励んでいる。
    スリランカは伝統的に上座仏教(小乗仏教)の弘まってきた仏教国で、多数民族であるシンハラ族の70パーセントが仏教徒である。それだけに小乗仏教僧の人々への影響は強く、こうした仏教僧の中には外国からの宗教を受け入れることに反発を感じている人も少なくない。特に、創価学会、日蓮正宗に対して拒否反応を示し、こうした教団とは、ほとんど交流がなされていなかった。
   そうした中、福岡日雙師の活動がスリランカ仏教界からも好意的に受け入れられ、このような機会を与えられたことは画期的ともいえるだろう。
   この国際仏教徒会議には、スリランカの各省の大臣や仏教界の長老も来賓として参列し、福岡日雙師の講演を聴講したが、「あなたのスピーチは素晴らしかった」「私たちにとって大変新鮮な内容だった」といった感想が多く寄せられ、本門佛立宗のなんであるかをアピールする絶好の機会となったようである。
   これを機にスリランカにおける佛立宗のご弘通はさらに進展していくものと期待されている。
以下、福岡日雙師が国際仏教徒会議で英語で語った講演の要旨を日本語に訳して掲載させていただく。

福岡日雙師の講演要旨

   本会に参集された皆様、スリランカ大統領閣下、首相閣下、このたび私にこのような機会を与えていただいたことに感謝の意を表します。
   私はこれまで釈尊の教えを弘めるために世界のいろいろな国を訪れてまいりました。スリランカも私にとって初めて訪れる国ではありません。
9年前、私は私のインターネットのウェブページに興味を持ったスリランカの方から手紙をいただきました。これがスリランカと私とのすばらしい関係を作るきっかけになり、以来私はこの国を30回にわたって訪れてまいりました。
   今や私はスリランカの文化、食べ物、そして気候にも慣れ、この国は私にとって第二の故郷のようです。9年前、私がこの国を訪れようとした時期、この国は内戦状態で混乱しており、日本の外務省もスリランカへの渡航をひかえるよう警告しておりました。しかし私は、であるが故に、法華経の教えを、そして御題目口唱行をこの国に伝えなければならないと考え、渡航を決意したのです。
   「怨みは怨みをもっては安らぎを得べからず。忍をもって行ずれば安らぎを得る」-これは釈尊の残された聖句です。
   第二次大戦後の1951年(昭和26年)に行われたサンフランシスコ講和条約において、アメリカ、ソビエトなど戦勝国は日本の戦争責任を糾弾し、賠償金を課すことを提案しました。しかしながらセイロン(スリランカ)の代表で、後に同国の首相になったJ・R・ジャヤワールダナ氏は先に挙げた釈尊の聖句を引用しつつ演説を行い、我々セイロン(スリランカ)は日本に対する一切の賠償請求を行うべきではないと考える。なぜなら怨みは怨みをもって返すという行為は釈尊の教えに反するからであると宣言したのです。
    我々、日本人はこの時のスリランカの好意を忘れてはおりません。今もスリランカに感謝しております。そして、なんらかのかたちで恩返しをしなければと考えてきました。9年前、私がスリランカに行くことを決意したのも、そのような思いからでした。
この9年間の中で、私にとって最も忘れられない出来事、それは2004年12月26日に発生した大津波による災害です。私は津波発生直後、この国を訪れ、その後二度にわたって本門佛立宗の僧侶や信徒と共に被災地を巡り支援活動をいたしました。本門佛立宗の宗務本庁は全国の佛立宗のお寺に義援金を募り、私はこれを携えて被災地の人々や病院、行政役所を訪れました。
   この大津波で被害を蒙ったのはスリランカだけではありません。ではなぜ佛立宗はスリランカをとりわけ重視したのでしょうか。それはスリランカが我々の国、日本と同じく仏教国であったからです。
私たち仏教徒は釈尊の教えを世界の人々に送りとどけ、そして釈尊の教えに基づいた生き方の大切さを伝えるため、小乗、大乗の垣根を越えて手を握り合い、協力していくべきです。そういう意味で私のスリランカ訪問の目的は単なる支援ではなく、この国の仏教者と友好的協力関係を築くことにもあったのです。

   ところで、これは少し申しあげにくいことですが、この国の仏教徒、すなわち上座仏教(テラワダ・ブディズム)に層する方々は、法華経に関することを学ぶ機会はあまりないと思われます。そこで、法華経の教えの核について少しお話させていただくことにいたします。
 私が所属している教団は「本門佛立宗」(HBS)と申します。
   教団名の本門とは法華経の最重要部分である本門(プリモーディアルセクション)のことです。佛立とは釈迦牟尼仏が立てられたという意味、そして、宗は宗派のことです。従って、本門佛立宗は釈尊が法華経本門の教えに基づいて立てられた宗という意味です。
 私どもの宗団は約750年前、日本に出現された仏教者、日蓮聖人を宗祖と仰ぐ宗団です。
日蓮聖人というと、皆さんの中には創価学会、あるいは日蓮正宗の名を思い浮かべる方もおられるでしょう。 私ども本門佛立宗と創価学会、日蓮正宗はいろんな点で違いがありますが、一番の違いは日蓮聖人をどう見るかという点です。
 彼らは日蓮聖人こそ仏陀であると主張いたします。それにたいし、私どもは日蓮聖人を釈尊から遣わされた仏使として敬っております。
   さて、法華経という経典ですが、法華経は釈尊が御歳30才から80才までの50年間にわたって説かれたご説法の中で、最後晩年の8カ年にわたって説かれた教えがまとめられた経典で、すべてのお経の最高峰に位置づけられ、諸経の中の王と呼ばれてまいりました。
法華経がどのような内容の教えであるかをくわしくご説明する時間を与えられておりませんので、ここでは法華経の最も重要な教理である「一念三千」についてかいつまんでお話することにいたします。
   一念三千の一念とは、皆さんの心のことです。そして、三千とは、この世のありとあらゆる存在、現象のことです。したがって、一念三千とは、この世のありとあらゆる要素、情報が皆さん一人、一人の心に備わっているということです。
   ところで、遺伝子工学という科学分野があります。この分野の研究でわかってきたことは、人間は膨大な量の情報を本来、心や身体に備えているということです。人間は約60兆個の細胞によって構成されているのですが、その一つの細胞に備わる情報を取り出しただけでも1千頁分に及ぶ学術書1千冊分になるというのです。一人の人間はその60兆倍もの情報を本来備えているのです。法華経にはそのことがすでに一念三千という教理として説かれているのです。
   もう一点、法華経の教えの特長は、釈尊観です。
   釈尊はそのご晩年、法華経の中で、「人々は私をインドの王の子として生まれ、後に出家し、修行ののちに悟りの境地に到りブッダ(覚者)となった人と思っているのであろうが、実は私の本体は永遠のいのちを備えた久遠実成の仏なのだ」ということを明かされます。ですから私たち法華経の教えを依りどころに仏教を信仰する者は、釈尊をたんなる歴史上の聖者としてではなく、永遠のいのちを備えた、すなわち今も生きておられる仏として崇め、敬っております。
   で、この根本的存在としての仏もまた、その一念に三千というこの世のすべての存在を有しておられます。であるが故に私たちの一念は久遠の釈尊の一念と共鳴、感応することができるのです。

   近年、日本のある研究者が特殊なカメラで水の結晶を写真に撮すことに成功しまして、水が人間の働きかけにどのように反応するかを調査した結果を報告しておられます。
この研究者は、水の入ったペットボトルに「ありがとう」という文字を書いて張り付け、「ありがとう」という言葉を水に投げかけたあと、水の結晶がどのような形、姿になるのかを調べたところ、水の結晶は実に均整のとれた美しい姿を示しました。
   次に「馬鹿」とか「悪魔」といった相手を軽蔑するような、罵倒するような言葉を張りつけ、そのような汚い言葉を水に投げかけたあと、写真撮影したところ、水の結晶は崩れた見苦しい姿、形に変化していました。
   この実験結果は何を意味するのでしょうか。私たちの発する声に水は共鳴、感応するということです。水だけではありません。植物や他の生き物もまた水と同じように私たちの音声と共鳴、感応することができるのです。ではなぜでしょうか。それはすべての存在は一念三千という要素をそれぞれに備えているからです。
 したがって仏道修行においても声を発するということが大切なのです。
 古来、仏道修行者はさまざまな経文やマントラ(聖なる言葉)を誦することを大切な修行としてきました。
 では、法華経や日蓮聖人の教えに基づいて私たちHBS(本門佛立宗)の信者は何をどのように唱えるかといいますと、「南無妙法蓮華経」という聖語をくり返し唱えることを最も大切な行としております。
 南無妙法蓮華経と唱えることは大変シンプルな行ですが、その背後には深い哲理が備っております。ここではくわしい解説はできませんが、要するに南無妙法蓮華経はたんなる日本語ではなく、ユニバーサル・ランゲージとでもいうべきものであって、この聖なる言葉には釈尊の悟りの功徳、エネルギーが包み込まれているのです。
 したがって、この聖語を唱え重ねることによって、私たちは仏の悟りのエネルギー、パワーを吸収することができるのです。それだけではなく、南無妙法蓮華経と音声にして発する時、この音声は宇宙の根源的存在ともいうべき久遠の釈尊の魂、すなわち一念と共鳴、感応し、仏の加護を受けることができるのです。
 法華経とは何か、南無妙法蓮華経とは何かについて、よりくわしくお知りになりたい方は書店で「マハーヤナ(大乗)-その哲学と修行」というシンハラ語(スリランカ語)に訳された私の著書をお求めになってお読みください。
 最後に、私の講演をお聴きくださった皆さんに御礼申しげます。また、こういう機会を与えてくださった国際仏教協会の関係者各位に感謝の意を表し、結びといたします。
 どうもありがとうございました。

スリランカ会場

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