○「宗綱」に一度は目を通しおく
―「宗門手帳」の活用を―
 

 先月の第1
回目では「お役中・組長はまず“公正”であってほしい」と申しました。それに次いでお願いしたいことが「せめて宗綱の全文だけでも目を通しておいてほしい」ということです。こんなことを申しあげるのは、筆者が現在宗門のお教務の養成機関である「佛立教育専門学校」で「法制」の授業を担当させていただいていることにもよるかとは存じますが、「宗綱」(本門佛立宗宗綱)というのは、「宗法」と共に宗内の最高規範(改正要件は「宗綱」の方が一層厳格)で、国でいえば憲法にも相当する根本規範だからです。この「宗綱」はくだけて言えば「本門佛立宗とは一体どういうものなのか?ということを最も基本的な点で明文化し、宗内外に宣明したもの」なのです。法令とか条文とかいうと、もうそれだけで拒絶反応を示す方も多いかとは存じますが、「宗綱」は全部でわずか14条しかありません。

そしてその内容は「名称」「沿革」「宗旨」「本尊」「修行」「法要式」「目的」「講有」「本山」「御講」「宗風」等など極く重要なものばかりなのです。佛立教育専門学校では学生お教務に必ず講義をいたしますが、これはお教務に限らず、本来はご信者も含めた全宗門人が基本的に理解しておくべき内容なのです。従来も第13条の第一号から第十号にわたって定められている「宗風」については、寒・夏期参詣の御法門等で何度か聴聞なさっているかと存じますが、他の条項もすべて大変重要なものばかりです。だからこそ宗務本庁から年毎に刊行される宗門人用の「手帳」年間用)にも、初めの部分にその全文が掲載されているのです。 なぜ「宗綱」なんて難しそうなものを引き出して云々するのか、と感じておいでの方もあるでしょう。でも本当に大切なものなのです。そして何度か目を通しておくだけでもイザというとき、きっと役に立つのです。  例えば組長さんが組内のご信者や家族、結縁者や宗外者から「本門佛立宗ってどんな歴史をもっているのですか?」、「御本尊は何で、どんな修行をするのですか?」、「どこが本山で、どんな経典を大切にするのですか?」等の質問を受けたとき、正確に答えようと思ったら、まず「宗綱」を見て、これで答えるか、条文を示すかすれば間違いないわけです(もっとも、宗外者との間で、いわゆる「法論・問答」に及びそうな場合は、うかつにこれに乗らず「当宗は理屈ではなく現証布教ですから」と告げ、深入りを避けることも大切です)

「歴史」は第2条(沿革)に「本宗は、高祖日蓮大士が、建長5年4月28日、久遠本佛(くおんほんぶつ)の宗旨を開宣されたときに創まる。その後、門祖日隆聖人が高祖の真義を発揚して、法華経本門八品(ほんもんはっぽん)の教えにより上行要付(じょうぎょうようふ)本因下種の教旨をあきらかにし、本宗を再興された。さらに安政4年1月12日、開導日扇聖人が本門佛立講を開き、蓮隆(れんりゅう)両祖の本意を伝えてその要義をあらわし(中略)根本道場たる本山宥清寺を中心に門末よく結束して弘通につとめ、昭和22年3月15日、日淳上人講有のとき、法華宗から独立して本門佛立宗となった」と記されています。

この一条だけで当宗の歴史・沿革の概要はもとより、蓮・隆・扇三祖のお名前も、根本道場たる本山宥清寺の名称も、立教開宗、本門佛立講の開講、法華宗からの一宗独立の時もすべて示すことができるわけです。欲をいえば西暦年代も記されていれば、とは思いますが、そこは条文ですからそれは致し方ないでしょう(後掲「付記」1参) なお「本尊」については第4条(本尊)に「本宗は、本門肝心上行所伝の南無妙法蓮華経の大曼荼羅を本尊とする」同第2項に「雑乱勧請(ぞうらんかんじょう)は厳に禁ずる」とありますから、これをこの通り示せばいいわけです。

 以上はほんの一例ですけれど、ことほど左様に「宗綱」各条は端的であり、便利であるわけです。くどいようですが、決して全文を暗記せよと言っているのではありません。せめて目を通しておいて、大体の内容と「確か宗綱に書いてあった」と思い出せるくらいを記憶しておくだけでもいいのです。あとは「宗門手帳」さえ携帯していれば、それを見ながらでも結構対応できるはずです。なお第13条の「宗風」は「佛立宗門人のあるべき姿」「あるべき佛立信者像」を示すものですから、これもとても大切です。「十号までの名称だけでも、まず覚えていただけたら」と研修会ではお願いしました。

○「宗風十号」の名称の覚え方(「付記」2参) 

宗綱第13条(宗風)の第一号から第十号までは、せめてその名称だけでも覚えてほしい、と申しましたが、これも少しは覚え易い覚え方があります。それは「佛立の七宝(しっぽう)」「信心の七宝七聖財」を基とする記憶法です。これは「聞(もん)・信(しん)・戒(かい)・定(じょう)・進(しん)・捨(しゃ)・懺(ざん)」ので、まずこれをそれぞれ宗風第一号から第七号に配当するのです。すると①聞→善聴(ぜんちょう)、②信→受持(じゅじ)、③戒→止悪(しあく)、④定→決定(けつじょう)、⑤進→精進(しょうじん)、⑥捨→喜捨(きしゃ)、⑦懺→懺悔(さんげ)となります(但し、七聖財の「聞」がそのまま「善聴」だというわけではありません。「善聴」は「聞」を基礎としてはいますが、「善聴」そのものの意義・内容は、やはり宗風第一号の条文の文言に即して理解しなくてはなりません。第二号以下も同様です。ここでは〈記憶のための便法〉として紹介しているのですから、その点は混同しないよう注意してください。「聞」即「善聴」ではないのです) 右のようにしてまず第一号から第七号を覚え、それらを「日常の信行に実践し、異体同心で弘通して、浄佛国土(じょうぶっこくど)を目ざす」(第八号「日常信行」、第九号「異体同心」、第十号「浄佛国土」)のです。 このように「宗門手帳」には「宗綱」が掲載されている他、宗門の全寺院(海外含む)の所在地や連絡先・住職名、逮夜の一覧、年忌表や年齢(満)早見表、三祖略年譜等、お役中のご奉公の上で役に立つ情報も入っているのです。手帳はそれぞれ使い慣れたものもありましょうが、筆者はこうした観点から「宗門手帳」の購入(年によって変わりますが、現在700前後)とその活用を勧めています。

○不軽菩薩(ふきょうぼさつ)の心をいただく

 組長・お役中の基本的心得として次に申しあげておきたいのは「不軽菩薩の心をいただく」ということです。 お祖師さまはご承知のように法華経の常不軽菩薩品第二十に登場する「常不軽菩薩」の修行のお姿を自らのお手本とされ、また弟子信徒にもそのことを度々説かれました。 御妙判には次のごとくお示しです。
①「日蓮は是法華経の行者也。不軽の跡を紹継するの故に」
(聖人知三世事・53歳・昭定843頁
②「日蓮はの不軽菩薩に似たり。(乃至)日蓮と不軽菩薩とは位の上下はあれども、同業なれば、彼の不軽菩薩成仏し給はば、日蓮が仏果疑ふべきや」
(呵責謗法滅罪抄・52歳・昭定786頁) *「業」=「行い」「しわざ」
③「総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人々は日蓮が如くにし候へ」
(四菩薩造立抄・58歳・昭定1650頁
④「不軽菩薩我深敬等の二十四字を彼の土に広宣流布し(乃至)彼の二十四字と此五字と其語殊なりと雖も其の意是同じ」
(顕仏未来記・52歳・昭定740頁
(①④は録内御書で御真筆現存もしくは曽存。②③は録外。) 
右の①~④の御妙判はいずれも佐渡にご流罪になられた後のご晩年の御文です。
 日蓮の弟子信者は、日蓮と同じように不軽菩薩のご奉公をお手本として妙法五字をご弘通せよ、そうすれば皆仏果がいただける、と仰せなのです。 この常不軽菩薩という方の修行の姿は次のようなものでした。是の比丘凡そ見る所ある若しは比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷を皆悉く礼拝讃歎して、是の言を作さく、 我深く汝等を敬ふ、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等皆菩薩道を行じて、当に作仏することを得べしと。(我深敬汝等 不敢軽慢 所以者何 汝当皆行菩薩道 当得作仏(法華経開結489頁 文中の不軽菩薩の呼びかけの言葉の部分の御文は法華経の原文では漢字で二十四文字ですから、この二十四文字と御題目の五字・七字とは文字数は異なっているけれどそのは同じなのだ、と仰せなのです。比丘・比丘尼以下は、僧と尼僧、在家の男性信徒と女性信徒をさし、これを「サンガの四衆」といい、釈尊の教団のの基本構成員です。 

不軽菩薩という方は、当時の僧はすべからく難しい経文を読誦し、山林等で修行するものとされていたのに、町や村に出てきて、経文を読誦せず、すべての行き会う人びと所見の人)にただ二十四字を唱え、礼拝して呼びかけたわけです。「あなたは菩薩行をすれば必ず成仏できる素質を秘めておられるのですから、どうかそれに気がついて正しい修行をしてください」と。 ここで頂戴しておきたいのはお祖師さまの『観心本尊抄』の中の次の御文です。人界に所具の仏界は水中の火、火中の水、最も甚だ信じ難し。(乃至)不軽菩薩は所見の人に於て仏身を見る。悉達太子は人界自り仏身を成ず」(本尊抄・昭定706頁 不軽菩薩の修行は、通常「仏性礼拝行(ぶっしょうらいはいぎょう)」といわれます。それはもちろんその通りなのですが、本尊抄では「仏性を見る」ではなく、「仏身を見る」と仰せになっておいでなのです。そしてこのことは私共の現実のご奉公の場面において意外に大切なのではないかと存じます。

「仏性」というのは、教学的には随分難しいものだと存じますが、ここでは一往「仏に成る可能性」「成仏の素質」だといたします。「仏性礼拝」というと何となく抽象的な「仏性」そのものを拝んでいるような印象を字面から受けてしまいますが、現実にはまさか「その人の心の中の仏性を拝む」などという抽象的な行為ではないと存じます。実際には「生身の相手の人そのものを敬い拝む」他に拝みようはないのですから。 このことに関連して、次回はもう少し具体的な心得について述べたいと存じます。

・〔付記1〕(西暦も入れ、少し補筆してみました)
「《本門佛立宗の沿革》(本門佛立宗宗綱第二条に基づく) 
本宗は、
高祖日蓮大士(1222~1282)が、建長5年(1253)4月18日、久遠の本仏の宗旨を開宣(立教開宗)されたときに創まる。 その後、門祖日隆聖人(1385~1464)が高祖の真義を発揚して、法華経本門八品の教えにより上行要付本因下種の教旨をあきらかにし、本宗を再興された。 さらに幕末の安政4年(1857)1月12日、佛立開導日扇聖人18171890が、本門佛立講を開き、蓮隆両祖の本意を伝えてその要義をあらわし、僧俗一体の信心を確立して、弘通(布教)に新生面を開拓された。 爾来、日聞、日随、日教上人等が開導聖人の講有位を継承してその正統を護持し、根本道場たる本山宥清寺(京都・北野の地)を中心に門末よく結束して弘通につとめ、昭和22年1947)3月15日、日淳上人が講有のとき、法華宗から独立して本門佛立宗となった。」
*なお当宗の弘通は、現在、ブラジル、韓国、台湾をはじめ、米国、オーストラリア、イタリア、スリランカ、フィリピン等にも伸展している。
(平成15月清風寺教育部刊の御通夜・葬儀告別式用『本門佛立妙講一座』―参列者等貸与用―に所掲)

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