~菩薩的感性~
2012年1月17日(火)
 

blog-syokoku.jpgご縁をいただいてフィリピン信徒の担当としてご奉公させていただいてから一年が経った。今までの出張ご奉公は3回にわたるが、渡航するたびに衝撃を受けるというか、信心というものの原点を肌で感じるような体験をすることばかりである。 

昨年9月にマニラにおいて定例御講を教区長宅で奉修させていただいたが、その中に赤ちゃんを連れている婦人(年齢は恐らく20代)がお参りしていた。御講の終わった後に教区長から紹介され、「この方はご信者ではなかったのですが、入信したい申し入れがありましたので御本尊の奉安をお願いします」とのこと。「これは有り難い」と、早速翌々日にご自宅へ伺い、四畳ぐらいの部屋を寝室とダイニングの二間に分けた感じの部屋のダイニングのほうに御本尊奉安。自分をふくめ大人5人が押し詰め状態でお看経。その部屋の住人はその婦人と赤ちゃんだけ、いわゆるシングルマザーの家庭。 

その時初めて知ったのだが、このご婦人は過去に2回ほど御講にフィリピン信徒に連れ参詣され、今回が3回目の参詣だったとのこと。そのご婦人曰く「HBS(本門佛立宗)のご信心は、自分のことしか願わない宗教ではなく、人のために願う、人の幸せを祈る宗教だからホンモノのご信心だと思った」と、これが入信の動機になったとのこと。

フィリピンの一般の現地人はいわゆる貧困層がほとんどで、このご婦人も例外ではありません。頼りになるはずの夫もいなければ、床が抜けてしまいそうな質素な部屋で暮らしており、自分たちがその日食べていけるかどうかと思われるなか、唖然とした自分の開いた口がふさがらなかった。

 その日を生きるのが精一杯の状況下で「人のために願う、人の幸せを祈る」ことに合点がゆきホンモノだと感じたことに、逆に感銘し、教えられた。いつも「人のことを願う菩薩心」が大事と御法門を説いてきた立場にありながら、自らの命をつないでいけるかどうかという状況下で、自分自身は本当にそう思えるかどうか― 当初、フィリピンで「人のために菩薩行を」と説いても、食べることすらギリギリの生活を強いられている、貧しい現地の方に受け入れられるのかと懸念していた。しかしこのご婦人の意外な言葉を聞かされ、当宗の教え、み仏のお慈悲はやっぱり嘘じゃない、ホンモノのご信心だと感じると同時に、自分自身の「甘さ」も浮き彫りになった感があった。

 本当に命がけで、一生懸命に生きているからこそ、「菩薩心」の大事なことに納得したのかも知れない。そんなホンモノのご信心に合点がゆき、入信を決意したこのご婦人は「ホンモノの菩薩」の感性を具えた人といえよう。(S・K)

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