『巨人軍は紳士たれ!』とは巨人軍の初代オーナー正力松太郎氏の言葉です。確かに巨人軍の選手はたとえ若手であっても茶髪に染めたり無精髭を生やしたりと、チャラチャラした選手は一人もいない。その点紳士的な球団と申せましょうが、今日勃発したフロントのいざこざ、所謂〝清武の乱〟といわれる一連の騒動はお世辞にも〝紳士的行為〟とは申せますまい。
少年時代よりの巨人ファンである私にとっても情けない限りで、初代オーナーもさぞや草葉の陰で嘆いておいででしょう。しかし何故斯様な醜態を晒す結果に陥ってしまったのか?それは偏にその初代オーナーの理念が言葉のみでしか伝えられていなかったが故と申さざるを得ません。松太郎氏存命中は殊細かく具体的にその理念を語られたと思われますが、しかし如何せん言葉のみで〝明文化〟された物が残されていなかったが故に、没後何十年と経ってしまえばその精神や理念も消え失せてしまうというのは有る意味当然の帰結といえるでしょう。
さて今回、寒夏の御法門テーマとして久方ぶりに〝宗風の実践〟が採り上げられました。十五世日晨上人のお言葉にも有る如く、宗法はいわば佛立宗の憲法であり、日本国憲法にもその内容を集約して示された〝前文〟というものが示されております。佛立宗の憲法たる宗法の前文に相当するのが〝宗綱〟で、その宗綱の第十三条としてこの〝宗風〟が示されているのであります。宗綱の前十二条は即ち佛立宗の〝法〟を集約して示されたものであり、第十三条の〝宗風〟はいわば佛立宗の〝人〟即ち〝ご信者らしさ〟或は〝佛立信徒の理想像〟、更に先の正力松太郎氏の言葉を借りれば宗風とは〝佛立信徒は菩薩たれ〟という理念を具体的に〝明文化〟されたものと解釈させて頂けます。
顧みれば、宗綱も宗風も昭和五〇年代に断行された宗制の抜本的な大改正の折に付加されたものであります。時の宗務総長は後に十八世講有となられる西村日地上人です。ご自身の義父に当たる十五世講有日晨上人のご依命を受け、敢て宗綱にこの宗風を盛り込まれたのであります。ひと口に〝ご信者らしさ〟といっても抽象的です。自身が存命中なれば殊細かく教導も出来ましょうが、一旦世を去った後、果たしてこの理念や精神が如何程迄に継承されるか否か?そう心労なされた日晨・日地両上人は〝ご信者らしさ〟という言葉のみではなく敢て〝宗風〟という〝明文化〟された形で、しかも宗制の最も重要な〝宗鋼〟の一部としてお遺しなされたのであろうと推測させて頂けます。今日二十数年ぶりに寒夏の御法門テーマとして採り上げられる事が出来たのもそのお蔭と申せましょう。
両上人のご慧眼と御威徳に心から敬服・感謝させて頂くと共に、その理念や精神を言葉のみの継承で終らせて仕舞えば誠に勿体無くも申し訳ない!と自身にも言い聞かせ、この寒夏の御法門を拝ませて頂いた次第であります。(R・K)
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