私は、新潟県の錦鯉の里、小千谷(おじや)で平成21年に生まれました。
ある春の日、兄弟達と共に袋に入れられてギュウギュウ詰めの苦しい長旅を強いられたのです。私たちは和歌山市にある錦鯉センターという所に陸路で、まる一日をかけて到着しました。
ある日、ハンサムな一人の男性が、ふと錦鯉センターにあらわれました。
この男性は、私を見るなり私に一目惚れしたのでしょうか。「この昭和三色は色がいい」と店の主人に言っています。生まれて日数の経っていない若い私は恥ずかしいやら、嬉しいやらで赤面してしまいました。私は、二匹の兄弟たちと袋に入れられて、男性の自宅に向かいます。私たちは何処に連れていかれるか分かりません、私は毎日食事を与えてくれるのか、水質の良い池なのか、不安で一杯でした。
この男性の自宅に到着すると、そこは普通の家ではなく、本門佛立宗というお寺だったのです。宿世のご因縁でしょうか。私は次の日の朝六時過ぎに「グァーン」という鐘の音で目を覚ましました。そして「南無妙法蓮華経」という御題目の唱題が始まりました。
私は生まれて初めて「本門八品所顕上行所伝の御題目」を聞きました。この宗派の祖師は「日蓮聖人」と言って、とても立派な方で、私達を観る信者さん達は皆、お祖師様とお呼びしお慕いしています。
このお祖師様(日蓮聖人)のお言葉に
「魚の子は多けれども魚となるは少なく、菴羅樹(あんらじゅ)の花は多くさ(咲)けども菓(このみ)になるは少なし」(松野殿御返事 縮遺1527)
※「菴羅樹(あんらじゅ)の花」とは「マンゴーの樹の花」のこと。菴羅は菴摩羅(あんまら)とも。
と説かれています。
私も全くその通りだと思います。私は何千もの青仔たちと共に生まれたのに、その中で生き残るのは極僅かです。そして、私のようにこの上行所伝の御題目とご縁のあったのは、私と二匹の兄弟たちだけです。私は本当に果報者だと思うと同時に、値法の喜びを感じる毎日です。それというのも、私のご主人様は、春から秋にかけて、毎朝八時くらいにその季節に合わせた量の食事を与えてくれます。
また、この池の住み心地の良いことには驚きです。この池には自動浄化装置の付いたポンプが備え付けてられている上に、「底水抜き」と言って、池と浄化槽が池の底から100ミリのパイプで繋がっていて、二、三日に一回、ご主人様がパイプに溜まった汚物を取り除いてくれて、新しい水を入れてくれるのです。
私は「スクスク」育って、当才の時は10センチにも満たない貧相な身体だったのが、4年で50センチは優に超えるくらいまで成長し、見事なプロポーションと「赤・黒・白」の三色は綺麗な艶が出て来ました。
私はとても幸せです。また、もし仮に錦鯉としての寿命が尽きたとしても、池の中まで聞こえてくる上行所伝の御題目によって、得生人界して来世は人間として生まれ、エサだけを食べる口しか持たない今の私が御題目を唱えられる口を持って生まれてくることができると思えば、これほどの喜びはありません。
今の私のご奉公は、信者さん達に鑑賞してもらって喜んでもらうくらいですが、必ず生まれ変わって、人間としてご奉公をさせていただくことが私の夢です。
「南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経」 (河 内)
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