㉔好きこそ物の上手
2014年11月19日(水)
 

―物事の上達はかけた時間に比例する―

 

○「好きこそ物の上手なれ」

 

前回は「妙法こそ大良薬(だいろうやく)」―色香美味(しっこうみみ)と五感(ごかん)の共働(きょうどう)―というテーマで、法華経如来寿量品第十六に説かれる「良医病子(ろういびょうし)の譬(たとえ)」を紹介しつつ、六根互用(ろっこんごゆう)・五感の共働について解説し、妙法五字が「色香美味 皆悉具足(かいしつぐそく)」たることを信心によって感得させていただくことの大事を記しました。

 今回は「ご信心の上手」になるには「好きになる」ことが大切で、そのためにはやはりこつこつとした「積み重ね」や「努力」がまず大切だということを申しあげたいと存じます。

 

さて「好きこそ物の上手なれ」とは人口に膾炙(かいしゃ)した諺(ことわざ)ですが、これを「ことわざ辞典」などでみると次のようにあります。

「好きこそ道の上手」「好きは上手の本(もと)」ともいう。好きであることが物事の上達の極意(ごくい)だということ。一方で「下手(へた)の横好き」など水を差すような諺もあるが、それにしても嫌いで上手になることはまずない。

 一般にどんな物事でも、好きになると関心が深まり、それに割(さ)く時間も長くなり、結果として腕前もあがるものである〉。(『岩波ことわざ辞典』)

〈技術を身につけるにはまず身を入れて修練に時間を注(そそ)ぐ必要があるが、好きなら身が入るだろうし、時間のやりくりにも一生懸命になるもの〉。(『ことわざの智恵』岩波新書・別冊)

 なるほど言われてみればその通りで、何でも上達する為には、身を入れ、時間もかけて続けることが基本です。好きになればそれが苦にならずにでき、そうなると上達も早く、尚張り合いも出て一層身が入る、という善い循環が起こり、ますます上達することになります。

 

 開導日扇聖人は御教歌に仰せです。

 御題・雨降りは車で参詣といふ

御教歌

 何事もすきこそ物の上手なれ

   いのちをさへにをしまざりけり

○御法にとりては此人仏祖のみこゝろに叶ふもの也。

(開化要談九・扇全13巻239頁)

 私共の信行ご奉公の上にも同様のことが申せるわけです。

 因みにこの御教歌・御指南等は明治22年の御筆です。

 御題の「雨降りは車で参詣といふ」とあるのは、後の御指南と合わせて少々説明がいるかと存じます。当時はもちろんどこに行くにも自分の足で歩いていくのが当たりまえの時代です。ところがその日は参詣しようにもひどい雨。まだ道路も舗装などされておらず、道は泥々にぬかるんでおり、しかも着物姿です。参詣ともなれば、衣服もきちんと改めて参るのが当然でした。そんな姿で泥道を歩いて参詣することは、現代の私達にはちょっと分からない無理があったのです。それでも何としても参詣をしたい。それで思い切って人力車を奮発してでも参詣したというのです。

 

 現代は車社会ですし、公共の交通機関も発達しており、道路もほとんど舗装されていますから、「雨が降ったら車で」というのも、まあ当たり前のように感じますが、当時は全く状況が異なっていたのです。貧しい時代の庶民です。平生はあらゆることに随分節倹しているのです。そんなご信者が、参詣ご奉公の為ならと思い切って人力車を雇ったのです。

 それでこそ「御法にとりては此人仏祖のみこゝろに叶ふもの也」との後の御指南のおこころが理解できます。信行ご奉公の為なら、雨や遠さはもとより、さしずめ何千円といった足代もいとわない。ご信心が好きで、参詣せずにはいられない。とにかくどうぞしてやりくりする。自然に「信心第一」となっているわけで、こういうご信者こそが仏祖のご本意に叶い、ご守護もいただくのは当然といえば当然です。

 

 

 

 

 また御教歌の下の句には「いのちをさへにをしまざりけり」と仰せですが、これも世法のことでいえば、例えば釣にせよ、ゴルフにせよ、登山にせよ、本当に好きになってハマッてしまうと、どれほど忙しかろうが、疲れていようが、寒暑も天気ももののかわ、費用も危険も顧みず、とにかく無理からでも何とか工夫・算段をつけ、嬉々(きき)として出かけます。現にウソをついて会社を休んでまで日本シリーズを観戦したり、命がけてドブ川に飛び込んだ野球ファンが少なからずあったことと思い合わせれば、これも時代を超えて通じることだと申せます。傍からは酔狂としかみえなくても、当人にとってはこれ以上の愉しみはなく、それがまたストレス解消、元気の源ともなっているわけで、もうそこには理屈も損得勘定もありません。習い事などでそうなると、当然上達もし、それが嬉しくて更に身が入ることとなります。これが信行の上でなら文字通りの「不自惜身命(ふじしゃくしんみょう)」(寿量品)の姿です。


○「物事の上達はかけた時間に比例する」

 

 松岡佑子(ゆうこ)さんといえば、超一流の同時通訳者で、日本の出版史上空前の大ヒットとなった「ハリーポッター」シリーズ(日本語版)の翻訳・出版で一躍有名になった女性ですが、この方があるテレビ番組(「はなまるカフェ」平成141029日放送)にゲスト出演した際の言葉が今も強く印象に残っています。ちょうど同シリーズの第4巻(上下)が刊行され、上下2冊で1セットであったにもかかわらず230万部が売れた頃でした。(なお原著者の英国人女性、J・K・ローリングさんが、同書が世界60数カ国で翻訳・出版されたこともあって、過去1年間の収入が230億円に達し、英国の長者番付の上位に入ったというニュースも最近流れました。)

 

 松岡さんは、実は国際基督教大学での専攻は日本史だった由です。ただ英語の発音が以前から好きで、それでずっと英語の勉強は続けていたのだそうです。

「印象に残った」というのは、番組司会者との次のようなやりとりでした。

 司会者…「どうすれば私達も英語が上達できるのでしょう。何か秘訣(ひけつ)は?」

 松岡氏…「語学に近道はありません。『佑子の第一法則』というのがあるんです。それは『物事の上達はかけた時間に比例する』というんです。失礼ですが、大変お忙しいお仕事の中で、英語の学習にどれくらい時間をお割(さ)きになれますか?」

 松岡さんは、以前から英語の音が好きだったとはいえ、ここまでになるには、やはりそれだけの時間をかけ、努力を積み重ねてきたのです。やはり一流の人の言うことは違うと思いました。

 

 開導聖人は別の御指南に仰せです。

「手習(てならい)する子に遊ばしてくれと云(いう)と、ちとやすめと云との二筋(ふたすじ)あり。

 信者口唱に二筋あり。

口唱をたのしむものと

いやがるものとあり。

諺曰(ことざわにいわく)、すきこそ物の上手なれ 真実の御弟子旦那云々」

 (如説修行抄御文段並略註・扇全9巻392頁)

 同じお習字・勉強でも、すぐに嫌になって「遊ばせてくれ」という子と、先生の方が「そんなに根をつめず、ちょっと休んだらどうか」と言うほど夢中になる熱心な子とがあるが、ご信者にも口唱信行の好き嫌いの二筋がある。願わくは信心を好きになれ。それでこそ本当の如説修行のご信者といえるのだから、とのおこころです。

 

 また別の御指南には次の如く仰せです。

「折伏修行に御利益と云(いう)褒美(ほうび)あり。諺曰、たのしみなくてはつとまらぬと。今、本門の信者も御弘通と浄土参拝の志願(しがん)あるによりて、今日(こんにち)のいとなみもものうからず。又今日無事達者にて暮らすも、口唱信行の御蔭也と喜べり。」

(開化要談九・扇全13巻240頁)

 

 お互い、できることなら最初から信行ご奉公を好きになれればそれに越したことはありません。しかし、もしそうでなくとも、まずコツコツと参詣や口唱等の信行に努め、それを積み重ねていけば、そんな中でいつしか興味も深まり、次第に楽しみも感じられるようになって、だんだんに好きになっていくものです。するとまたお計らいも感得して徐々に信心が上達していくのです。また同時に、お計らいを楽しみにして努力していくということも大切ですね。

 

 お役中は、自分のお役のご奉公についてこうしたあり方なり、方向性を持って努力していくことが大事であり、また受け持ちの一般ご信者を育成していく上でも、同様の姿勢で教え導いていくことも考えていただきたいと存じます。

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