○お寺参詣・御講参詣の大切さを知る
前回は、初心(罪障の深い凡夫であることの自覚)を忘れず、「無始已来の御文」の心を大切にすることによって、懈怠(けだい)なく精進(しょうじん)し続けることが、お役中の大切な心得であることを申しあげました。
今月は、当宗のご信者の信行の根幹の1つである「参詣」の大切さについてです。
まず最初に開導日扇聖人の御指南をいくつか頂戴いたします。
①「講内面々わすれてならぬことそれ此(この)御講席とは弘通広宣の道場、大恩報謝如説修行随力演説(ずいりきえんぜつ)の処(ところ)也。大功徳を得る宝の山これ也。現世安穏後生善処(げんぜあんのんごしょうぜんしょ)の根本の処也。霊山浄(りょうぜんじょう)山(土)(ど)にもおとらず娑婆即寂光(しゃばそくじゃっこう)即此処也。されば此御経(このおんきょう)を持(たもた)ん人々はせめて人身(にんしん)を得(え)此(この)大法にあひ奉りし御報恩の一分なりとおもひて、御講出席一席もかゝし給ふことなかれ。人一人(ひといちにん)も得(え)教化(きょうけ)せぬ分斉(ぶんざい)の身の如説修行とは御講参詣のことなり。家業ある身なればいかにも繰(くり)あはせて参詣するを大恩報謝の一分(いちぶん)と思(おぼ)しめせ。悪業(あくごう)のさはりにて参詣ものうくおもふ時あらば、心に魔のいりてわが信心をさまたぐると思ひ、つとめておして参り給ふべし。」
②「不参なれば法門を聞(きか)ず。きかざれば信心ゆるみ行(ゆく)。ゆるむ故にますます不参。不参故に不都合。不都合故にいよいよ不参して終(つい)に退転堕獄(たいてんだごく)するもの也。その時御法をうらむ事なかれ。兼(かね)て以て此事を申しおくもの也。」(当講の忘れてならぬ事(①②共)扇全8巻186頁)
③「御法門心得違(こころえちがい)せる人の曰遠き所を日参は無益の事也。我家に本尊あり道場と云(いう)、家内にありと云々。 道場に能所(のうじょ)ある事を知らず。寺は諸人参詣の道場、面々の家の本尊は[乃至]其業(そのなりわい)あれば本尊は内に隠(かく)れて家内のみの本尊、世間に事相(じそう)に人知らず。 寺は門前を通る者も礼を為(な)して行ものある事相表立(じそうおもてだち)たる弘通所也。[乃至]又凡夫歴縁対境(りゃくえんたいきょう)するに持仏堂(じぶつどう)の口唱と本堂高祖御宝前の口唱と、心持(こころもち)に自然(じねん)に差別(しゃべち)を顕(あらわ)す。[乃至]これ寺と在家と能所ある一箇(いっか)の御法門也。」(「歴縁対境」……天台・妙楽の釈にあり)(能所不二(のうじょふに)の上に而二(にに)なりの事・扇全17巻338頁)
④「問云わざわざ参詣に及ばぬか。尓也即是道場(しかなりそくぜどうじょう)也。されど家にありては心の散事(ちること)多し。又、歴縁対境紛動(りゃくえんたいきょうふんどう)す。凡夫の向ひ奉る所、必ず其(その)向ひ奉る境によりて信の起る故に、参詣には利あり。」(三界遊戯抄一・扇全6巻333頁)
御指南の引用が少々長くなってしまいましたが、①と②は同じ御指南の前後で、いずれも御講参詣の大事を示されたもの。③と④はお寺と自宅、お寺・御講席と自宅等の参詣の違いについて示された御指南です。 お寺や御講席は「信行錬磨の道場」であり、「ご弘通の道場」ですから、とにかくまずその場に参詣をさせていただくことが佛立信徒たる者の信行の根本です。そしてこの道場の「参詣」を通じて口唱も、御法門聴聞も、先祖等のご回向も、布施・有志も、仏祖への大恩報謝もすべてがさせていただけるわけで、いいかえれば参詣の中に当宗信行のすべてがこもっており、そこから教化も育成も、法燈相続も進められていくわけです。
①の御指南の中に「それ此御講席とは弘通広宣の道場[乃至]大功徳を得る宝の山これ也。」と仰せなのは正しくそこのことを端的に示されているのです。何といっても「道場」なのですから、実際にその場に身を置かなくては話になりません。それは世間で子供が学校へ通学するのにも似ています。「一人で家で本を読んでも勉強できるのに、学校に通う必要などない。通学の時間や費用が無駄だ」などというのは理屈であって、実際にはそうはまいりません。やはりめんどうなようでも学校へ通い、他の生徒と一緒になって、先生の授業を通して勉強することが大切であることは、自身の経験からも誰もが分かっていることだと存じます。信行の錬磨もその点は同じなのです。このことについて示されたのが、③と④の御指南です。 「能所(のうじょ)」というのは「能」は「能(よ)く……す」「所」は「……せ所(ら)る」と漢文で訓(よ)みますね、基本的に「能動(のうどう)」と「受動(じゅどう)」の関係を示す語です。「道場の能所」となると、同じ道場でもお寺が本(もと)で、個人の御宝前の間は末(すえ)という関係を示します。法華経如来神力品に「即是道場(そくぜどうじょう)」とあるように、僧坊であろうと在家のご信者の家であろうと、御本尊が奉安してあり、お看経ができるという意味では「道場」であることには変わりがないけれど、その道場にも本と末、能所がある。また他から見ても、個人宅の御宝前の間は家の外からは全くそれと見えないのに対し、お寺は誰でも外見からしてお寺だとわかる、つまり事相(実際にそれと見える姿や形)が違う。また人間は環境や縁の影響を受け易いもので、お寺の本堂や御講席に身を置くか、自分だけの自宅の御宝前かでは、自然に心持が異なってくる。そうしたことからもお寺や御講席に参詣することは大切なのだ、というわけです。
○新入信徒や宗外者に参詣を勧めるに際しての心得・必要性を感じてない人もいる
近刊の『宗教を知る 人間を知る』[講談社・本年(平成14年)3月刊]という本があります。これは河合隼雄、加賀乙彦(おとひこ)、山折哲雄、合庭 惇(あつし)の四氏の共著になるもので、「宗教入門の本として、高校生、大学生、学校の先生、お父さん、お母さんに読んでもらいたくて企画」されたものです。その序章は「 “宗教は無関係”という人たちへ」、第1章は「人にとって宗教はなぜ必要か」。第1章は河合氏の担当で、次のように記しています。
<「宗教はなぜ必要か」といった問題提起がされること自体、日本人の宗教観の特殊性がよく現れています。ほかの国では、このようなことはことさら問題にするまでもなく、みんなが必要に決まっていると思っているからです。(中略) つまり、世界全体の中で、日本人は宗教というものに関してじつに特殊な感覚と受けとめ方をしている民族なのです。このことを、私たちはまずもってよく認識しておかなくはならないでしょう>(同書41頁)
<宗教を信じている人の側からすれば、なにも死を説明するために宗教をやっているわけではありません。その人たちは超越存在というものを感じ、あたり前のこととして受け入れていますから、私の説明の順序とは逆に、超越存在からいろいろなことが説明されていきます。(中略)その集団の中では、誰もが超越者が言ったとされる言葉を信じ、その言葉に従って生きています。宗教集団での生存とか生活に伴うもろもろの行為は、超越者の存在、その言葉などすべてを信じるということが前提になっています。(中略)そこでの「信じる」は、知的に信じるのとはまったく違います。(中略)そういうことのすべてが納得したこととして身体の中に入っているのです。(中略)これは仏教の場合でも同じで(中略)身体で納得するというのは、「これはこうなっているから、こうである」というような理屈、客観的説明とは違います。そして人間というものが生きていくためには、そういうこともとても大事ではないかと思います。>(同書50頁以下) 河合氏の言葉をもう少し当宗に即して、また新入の信者さんや結縁(けちえん)の方をお寺や御講席へと参詣奨(将)引する際のことを念頭に置きながらいえば次のようなことになるかと存じます。
特に悩みや願いごとがあって、自分から参詣したいと思う人は別として、通常は進んで参詣しようとする人は、信心の身に付いた人以外には少なくて、「なぜ参詣しなければいけないのか。必要性を感じない」と思っている人や、それに近い感覚の人が多いということをまず知っておくことが大切です。また、役中さん等からの説明は(既に信心を持っている方ですから)、み仏・御宝前を信じ、み教えを信じ、受け入れた立場からの説明になっているけれども、相手はまだ信じ受け入れてない人ですから、そのままでは中々理解してもらえず、したがって参詣する気になりにくいのです。
第一、「信心」はまず心の問題で、頭や心で理解することが先決だと思っていることが多いのです。けれども「信行」という言葉があるように、当宗の信心は、やはりすぐれて身体的なもので、実際にお寺なり御講席なりの場に体を置き、実際に口唱をさせていただく、体を使ったご奉公をさせていただくことを通じて初めて納得・得心がいく、つまり身体的に「腑(ふ)に落ちる」ものなのです。これは実は何も信仰に限らない、人間がまともに生活していく上で、極めて大切なあり方ではないでしょうか、ということです。
当宗がまず「参詣」という身体行動を重視するのは、 “信行の身体性”というものを大切にしているからに他なりません。お役中は、右のようなことを理解した上で、例えば「説明はできる限りのことはまたさせていただきますが、何はともあれ、むずかしく考えず、とにかく一度実際にお参りしてみませんか」といった感じで参詣を勧めることも大切なのです。
○「つながり」を大切にし、活かそう―人と人、人と環境、体と心、仏と人―
信行においては「身体と心」「環境と人」との関係が大切だということは前述の通りですが、これをもう少し角度をかえて、「つながり」という観点からみてみましょう。 鎌田 實(みのる)という諏訪(すわ)中央病院院長で、長く地域全体に対する医療を独自の立場で続け、大きな実績をあげてきた方が、次のように仰っています。「命は3つのつながりのなかで守られている という話しもしばしばします。
①1つめは 人と人のつながり、
②2つめは 人と自然のつながり、
③3つめは からだと心のつながりです。
いまの時代は、その三つともとても危うい状況にあります。」 [岩波新書723 飯島裕一編著『健康ブームを問う』17頁。昨年(平成13年)3月刊] 人間はただ独りで生きているのではなく、人の「いのち」は他の人とのつながりや、自然等の環境(光、緑、空気、水等々)や、身体と心や、そういった「つながり」の中でこそ生かされているのだが、現代はそれをおろそかにしていて、大変危うい、と警告しているのです。 言われてみれば全くその通りですね。これを当宗のご信心でいえば次のようにいえるのではないかと存じます。
①人と人のつながり―家族、ご信者同士、組長・役中との関係、御講師との関係。
②人と環境―家庭、お寺、御講席のふんい気。町内の人々とのありよう。
③体と心―心・信心を根としたあり方。反対に先にも触れたように身体から入って納得する、腑に落ちるという、いわゆる事相(じそう・外的な姿形)を大切にするあり方も大切。
④み仏(御題目)と人―これはご信者だからいえることで、御宝前、お祖師さまとのつながり、絆(きずな)です。 「参詣」という信行ご奉公を考えていけば①から④のすべてが関わってくるかと存じます。家族はもとより、町内の宗外者との関係も大切でしょうし、ご信者同士や役中さんとご信者とのありようや、御講師との関係も影響は大きいと存じます。また参詣したお寺や御講席の環境的なふんい気も極めて大切です。そうした場に参詣した人は、現実にその環境に身を置きつつ、信心を一人ひとりが感得していくわけです。「参詣」の大切さと、「参詣」に導くまでの大変さ、そして「道場」のありようの大切さに思いを致し、お役中は、「身体性」や「つながり」を大切にするよう努力させていただくことが大事だと思うのです。そういう意味での教務のありようもほんとうに大切ですね。
④初心(罪障の深い凡夫であることの自覚)を忘れない
―「無始已来の御文」の心を大切に―
○「初心忘るべからず」の真意を肝に銘じる
前回は「不軽菩薩の心をいただく(Ⅱ)として『教えるということ』(大村はま著・共文社刊。その後『新編・教えるということ』として「ちくま学芸文庫」から他の講演録も収録して刊行されている)の内容も紹介しつつ、不軽流の大切な心得として「相手に対する真の尊敬」と「自らも求め続ける努力」の2つが大切であると記し、その際〈「もとより罪根甚重の凡夫であることの自覚」も「求め続ける心」を支えます〉と申しあげました。この「凡夫の自覚」こそが当宗でいう「初心」なのです。 「初心忘るべからず」という言葉の本来の意味は、世間一般でしばしば誤解されているような「最初の清純で善良な心、純粋な志を大切にせよ」という意味ではありません。むしろ反対に「自分は欠点だらけの未熟者、至らない者だと自覚している心」なのです。免許取りたてで危ないことを示す「初心者マーク」の初心が本来の「初心」に近いのです。
この言葉を有名にした世阿弥(ぜあみ)[能の大成者、観世(かんぜ)三郎元清・1363~1442(?)年。『風姿花伝(ふうしかでん)』『花鏡(かきょう)』等の伝書(でんしょ)も著名]の最晩年の伝書『花鏡』〈奥の段〉【岩波『日本思想大系24』107頁】には次のように記されています。
「当流に万能一徳(まんのういっとく)の一句あり。初心忘るべからず(初心不可忘)。
此句(このく)三ヶ条の口伝(くでん)あり。
是非(の)初心忘るべからず。
時時(の)初心忘るべからず。
老後(の)初心忘るべからず。
此(この)三句能々(よくよく)口伝すべし。
「万能一徳」とは「あらゆる芸(能)がそこから発露する根源となる一つの徳目」というほどの意です。「是非の初心」については「前々(ぜんぜん)の非を知るを後々(ごご)の是(ぜ)とす」と後文にあり、「自分は元来未熟で失敗ばかりしていると、その至らなさを自覚して忘れずにいることが今後の芸の上達のもとだ」ということで、言いかえれば「元来の未熟の自覚」の意。「時時」は「じじ」「ときとき」と訓(よ)み、例えば「二十代、四十代と加齢しても、その年代ごとにおいて常に未熟さを自覚していること」。「老後の初心」とは「老成し、大家・ベテランと讃(たたえ)られるようになっても、依然として芸には果てがなく、自分はまだまだ未熟で至芸には遠いと自覚する心」だとされます。
要するに「終始一貫して最期まで自己の至らなさを自覚し、それを忘れないようにせよ」これが「初心忘るべからず」の真意なのです。それは『花鏡』の結文に「初心を忘るれば、初心子孫に伝わるべからず。初心を忘れずして、初心を重代(じゅうだい)すべし」とあることからも明らかです。 実際誰しも「自分は欠点だらけの未熟者、至らぬ者だという自覚」があればこそ、「我(が)」を捨てて「どうか宜しくご指導願います」という、素直に随順し、教えを積極的に吸収しようとする姿勢が自然に生じてくるのであり、それでこそ本当の改良や向上があるわけです。1つのものごとを長年続けるということは、当然「慣れ」を伴います。ただこの「慣れ」には善悪両面があって、それが「熟練」「練達」の方向に向かうか、「悪狎(わるな)れ」や「横着」「慢心」の方向に向かうかは、一(いつ)に本来の意味での「初心」の有無、つまり「未熟さの自覚」の有無にかかっていると申しても過言ではありません。
○“基本”を大切に
平成12年6月末に起こった「雪印乳業食中毒事件」や、平成11年の核燃料加工会社「ジェー・シー・オー(JCO)」東海事業所の臨界事故などは、両事件ともその原因は、およそ信じ難い、最も初歩的な、当然守られねばならない基本を疎かにしていながら、それに慣れた怠慢さの中にあったのです。自己の危(あやう)さ、未熟さを忘れ、基本を忘れることの恐さを教えてくれる大きな教訓だったと存じます。車の運転で、初心者もそうですが、むしろベテラン運転手が時に大事故を起こすのも同様です。『論語』には「顔(がん)回なる者あり。(中略)過(あやまち)を弐(ふたたび)せず。」[雍也(ようや)第六]とあります。顔回は師の孔子に先立った若い弟子でしたが、真の意味で“学ぶ”ということを知っており、だからこそ「一度失敗をして自分の未熟さを知ると、深く反省・改良に努め、以後は二度と同じような誤ちを繰り返すことがなかった。それが見事だった」というのです。
そういえば、雪印は今の社名となった5年後の1955年にも、一昨年と同じ黄色ブドウ球菌による食中毒を起こし、東京の学校給食等で1300人を超す中毒者を出しています。その時の教訓が社内で忘れ去られていたところに、初回とは比較にならない大事故となったこの事件の根本的な原因があったとも申せます。これで流石(さすが)に改良できたかと思っていたら、そこに今度は平成14年1月23日の「雪印食品牛肉偽装事件」の発覚とそれに続く数々の不祥事です。経営が行き詰まった同社は同年2月22日の取締役会後、4月末をめどに会社を解散することを決めました。親会社の雪印乳業もすでに多くの工場を閉鎖するなど経営を縮小していましたが、さらに厳しい状況に追い込まれています。「貧(ひん)すれば貪(鈍・どん)する」といわれますが、苦しくなると、再起のため改良せねばならないのに、却って堕落し、さらに泥沼に陥ってしまう姿に凡夫の悲しさが見えてしまいます。「初心」を忘れると、結局は罪と失敗を重ねて行くことになるのです。恐ろしいことだと存じます。
○「無始已来の御文」の心を大切に
この「初心」をご信心で申せば、「自身は元来罪障の深い凡夫であることの深い自覚」です。その自覚を深く持ち、それを終生忘れないからこそ、「至って未熟で罪障の深い私ですが」と「我(が)」を捨てて、いつも謙虚で素直な心でいることができ、何年経っても慢心を起こすことなく、信行の改良と増進がさせていただけるのです。そしてこの心こそ『妙講一座』でいつも最初に、そして最後にも拝読申しあげる「無始已来謗法(ほうぼう)罪障消滅、今身(こんじん)より仏身に至(いたる)まで持奉(たもちたてまつ)る」の「無始已来の御文」の心にそのまま通じる心なのです。
佛立開導日扇聖人は御指南に仰せです。
「御利益は初心に限る。清風も此初心こそ御師匠なれ。」
(末代幼稚の中の四類等の事・扇全14巻7頁)
「御利益はいつも初心にあり。これは私なく一途に経力にすがるが故也。」
(講場必携 坤(こん)・扇全14巻247頁)
先の御指南はご遷化の前年、明治22年7月18日付で聖人73歳の時の、また後の御指南はその翌年、まさしくご遷化の年の1~2月のお言葉です。「清風も此初心こそ御師匠なれ」と仰せですから、ご信者を戒められると同時に、他ならぬ聖人ご自身も生涯この「初心」を自己の師表(しひょう)とされたことが拝察できるのです。
どうかお役中は、お役中なればこそなおのこと、いくつになろうと、何年信歴があろうと、またお役を重ねようと、「罪障の深い未熟な凡夫の自覚」たる「初心」を忘れず、慢心を戒め、素直な心で信心の改良を期させていただきましょう。それこそがご利生(りしょう)感得と、ご弘通の、そして法燈相続や育成の基(もとい)であり、ベテラン、初心者を問わずお役を全うさせていただく基本の心得なのですから。
○「真の尊敬」と「自ら求め続ける心」を
先月号では、日蓮大士のみ言葉をいただきながら、お祖師さまご自身が法華経の常不軽(じょうふきょう)菩薩品第二十に登場する常不軽菩薩の修行を自らのお手本とされたことや、法華経の御文の上での不軽礼拝行(らいはいぎょう)を紹介させていただくとともに、本尊抄の「不軽菩薩は所見の人(にん)に於て仏身を見る」の御文もいただいて、「仏性(ぶっしょう)礼拝」とは言うものの、現実には「生身(なまみ)の相手の人そのものを敬い拝む」ものであり、それが大切であることを申しあげました。
さてこの「尊敬」ということについて、私は以前服部日入師から紹介された『教えるということ』(大村はま著・共文社)によって随分考えさせられました。
著者は昭和3年に東京女子大を卒業後、旧制の高等女学校から戦後は新制中学で国語科を担当、昭和38年には「ペスタロッチ賞」を受賞、昭和55年の退職まで「現場」を離れなかった方です。『教えるということ』は、昭和45年、富山県教育委員会の依頼によって、まだ教師になって間もない小中学校の先生達に対して行った講演の演題で、同書にはこの時の講演の他いくつかの講演録が収められています。昭和48年の初版以来十年間だけで26刷を重ね、読み継がれている本だけに、一読して胸を打たれ、自然に頭が下がる思いがいたしました。まずその内容を部分的ですがそのまま紹介いたします。
○『教えるということ』よりの技粋
①「教師はやっぱり子どもを尊敬することがたいせつです。さしあたり年齢が小さくて、先に生まれた私が先生になりましたが、子どもの方が私より劣っているなんていうことはないんです。劣ってなんかいないんで、年齢が小さいだけなんですね。子どもたちを心からたいせつにするということはそういうことを考えることです。それは小さい子どももそうではないかと思うんです。実にすぐれたものやいい気持ちを持っていまして、とても自分の相手ではないんです。私の教えている子どもがみんな私より上でなくて、私ぐらいのところでとまったらどうしましょう。たいへんですね。ですから、子どもはほとんど全部教師よりずっとすぐれていると思って間違いなしです。そういう敬意といいますか、尊敬を心から持って、この宝物をたいせつにしたいと思います。年が小さくて子どもっぽいのに気がゆるんで、ことばが乱れたり、態度が乱れたりすることはこわいことだと思います。子どもは白紙の心でじっとみなさんをみつめ、そしてみなさんを尊敬しています。年が上だから尊敬するようになっているんです。実際には、私たちよりも、もっともっとすばらしい人がたくさんいる、年が小さいがゆえにわが教え子となってそこにいるにすぎません。それは、日に新たに考えていなければならない子どもへの敬意だと思います。『子どもを大事にする』とよく申しますけれども、やさしくすることくらいのことは敬意を表すことにならないので、『この子は自分なんかの及ばない、自分を遠く乗り越えて、日本の建設をする人なんだ。』ということを授業の中で見つけて、幼いことを教えながらも、そこにひらめいてくるその子の力を信頼して、子どもを大事にしていきたいと思います。 自分が敬意を持っていないと、子どもを大事にすると言いながら子どもを甘やかしていることがあると思うのです。『甘やかし』と『敬意』とはたいへん違うと思います。」〈「ほんものの教師」同書55頁~46頁〉
②「教師としての子どもへの愛情というものは、とにかく子どもが私の手から離れて、一本立ちになった時に、どういうふうに人間として生きていけるかという、その一人で生きていく力をたくさん身につけられたら、それが幸せにしたことであると思いますし、つけられなかったら子どもを愛したとは言われないと思います。親も離れ、先生もなくなった時、一人で子どもがこの世の中を生きぬいていかなければなりません。その時、力がなかったら、なんとみじめでしょうか。国語の教師としての私の立場で言えば、その時、ことばの力が足りなかったらいかにみじめかと思います。平常の、聞いたり、話したり、読んだり、書いたりするのに事欠かない、何の抵抗もなしにそれらの力を活用していけるように指導できていたら、それが私が子どもに捧げた最大の愛情だと思います。(中略) 子どもをかわいいというんでしたら、子どもが一人で生きるときに泣くことのないようにしてやりたいと思います。今のうちなら、たとい、勉強が苦しくて泣いていたってかまわないのですが、いちばん大事な時に泣かないようにしてやりたいと思います。今日のこの幸せの中にいる時には、頭をなでてもなでなくとも同じことだと思います。一人で生きるときに、不自由なく、力いっぱい生きていける、そういう子どもにしていかなければ子どもは不幸です。子どもを不幸にするようなことをしていて、愛情をもっていたのだと言ってみてもどうなりましょう。」〈「真の愛情とは」同書90頁~92頁〉
③「私はまた、『研究』をしない先生は、『先生』ではないと思います。(中略)つまり、前進しようという気持ちがないわけですから。(中略)研究ということは『伸びたい』という気持ちがたくさんあって、それに燃えないとできないことなんです。(中略)なぜ研究をしない先生は『先生』と思わないかと申しますと、子どもというのは、『身の程知らずに伸びたい人』のことだと思うからです。いくつであっても、伸びたくて伸びたくて……、学力もなくて、頭も悪くてという人も伸びたいという精神においてはみな同じだと思うんです。一歩でも前進したくてたまらないんです。そして、力をつけたくて、希望に燃えている。その塊(かたまり)が子どもなんです。勉強するその苦しみと喜びのただ中に生きているのが子どもたちなんです。研究している先生はその子どもたちと同じ世界にいるのです。研究をせず、子どもと同じ世界にいない先生は、まず『先生』としては失格だと思います。子どもと同じ世界にいたければ、精神修養なんかじゃとてもだめで、自分が研究しつづけていなければなりません。(中略)いっしょに遊んでやれば、子どもと同じ世界におられるなんて考えるのは、あまりに安易にすぎませんか。そうじゃないんです。もっともっと大事なことは、研究をしていて、勉強の苦しみと喜びとをひしひしと、日に日に感じていること、そして、伸びたい希望が胸にあふれていることです。私は、これこそ教師の資格だと思うんです。 私は長い間教師をしてきましたけれども、『研究』から離れませんでした。今でも、話ししやすい先生として子どもといっしょにいられるということは、それによると思うんです。そして今、ことに、年をとった今は、子どもと離れないようにと、いっそう研究に努力しております。(中略)もう40幾年も教員をやっていれば、かっこよくやりたければ、何でもやれます。およそ困ることがないといえばいえるでしょう。どんな古い方法でも、今までやった方法ででもよかったら、すぐにでもやれます。けれども、それでは老いてしまうと思うんです。それは精神が老いてしまうことです。」〈「教師の資格」同書20頁~23頁〉
紹介が少し長くなりましたが、1度はそのままお読みいただいた方がご理解いただき易いと存じます。①と②は「真の尊敬」の意味であり、③は「研究」つまり「自らも求め続ける心」の大切さを訴えています。私はこの2つの心は不軽菩薩の心、不軽流の礼拝・折伏行の意(こころ)に通底すると存じます。不軽菩薩は「我(われ)深く汝等(なんだち)を敬ふ、敢(あえ)て軽慢(きょうまん)せず云々」と行きあう人すべてを礼拝し讃えました。大村先生は「子どもはほとんど全部教師よりずっとすぐれていると思って間違いなしです。そういう敬意といいますか、尊敬を心から持って、この宝物をたいせつにしたいと思います。(中略)やさしくするくらいのことは敬意を表することにならないので、『この子は自分なんかの及ばない、自分を遠く乗り越えて、日本の建設をする人なんだ。』ということを授業の中で見つけて云々」と仰っています。
お役中が自分の組内の新入信者や若いご信者に対して、また親が法燈相続させるべき子に対して、同じ敬意を持っているでしょうか。 「私は何とかここまでご信心をいただいてきたが、他のご信者にはそこまでは無理だろう」とか「自分はともかく、子にはとてもそこまで求めるのは酷だ」とか思っているとしたら、それはとんでもないことです。そんな方でも例えば世法上のことなら別の考え方をします。「私は残念ながらろくに学校も行けなかったけれど、子供だけは何としても大学まで行かせたい」、「私はここまでしかなれなかったが、子供には私などより立派になってもらいたい」と思うでしょう。ご信心で不軽流というのなら、「私は残念ながらまだこんな信心前でしかないけれど、あなたには私など乗り越えてもっともっと立派な信者になってもらいたい」、「私程度で止まってもらったら大変だ。もっと先に進んでもらう人だ」と思い、そのように育てるべく全力を尽くさなくてはならないはずです。
このような「相手への尊敬」こそ不軽流の第1の要件だと存じます。そこに求められるのが「甘やかし」ではない「真の愛情」であり「慈悲の折伏」なのです。大村先生が「子どもをかわいいというんでしたら、子どもが一人で生きるときに泣くことのないようにしてやりたいと思います。今のうちなら、たとい、勉強が苦しくて泣いていたってかまわないのですが、いちばん大事な時に泣かないようにしてやりたいと思います。(中略)子どもを不幸にするようなことをしていて、愛情をもっていたのだと言ってみてもどうなりましょう。」と言っているのはまさにこのことだと存じます。相手の本当の幸せのために、全力を尽くして教え鍛えるわけです。開導日扇聖人が御教歌で「愚かなる親は己(わ)が子をかあいとて あまやかすのはにくむ也けり」と戒められるのも実にこの点に他なりません。厳しい親だ、厳しい役中さんだと思われ、時に反発や憎しみの対象になったとしても、相手の将来を思えばこそ教え鍛えることが、真の愛情であり、慈悲だというのです。「折伏は慈悲の最極(さいごく)」というのはこうしたありようをいうのであって、決して安易なものではないと存じます。 不軽流でもう一つ大切なのは「自らも求め続ける努力」です。大村先生は先の③の中で「私はまた、『研究』をしない先生は、『先生』ではないと思います。(中略)つまり、前進しようという気持ちがないわけですから。(中略)一歩でも前進したくてたまらないんです。そして、力をつけたくて、希望に燃えている、その塊が子どもなんです。(中略)研究している先生はその子どもたちと同じ世界にいるのです。研究をせず、子どもと同じ世界にいない先生は、まず『先生』としては失格だと思います。(中略)自分が研究しつづけていなければなりません。」と言っています。 尊敬し愛する相手を教え導こうと思えば、相手と同じ心、同じ世界にいなくては真の心の交流(ご信心ではこれを「感応道交(かんのうどうきょう)」と申します)や共感はありません。そこで必要とされ、求められるのが、先生なら「研究」し続けることであり、お役中なら「自らも求め続ける心」つまり「求道心(ぐどうしん)」なのです。いわれてみれば確かにその通りです。親や役中が、子やご信者に対していくら「ああせよ」「こうせよ」と言っても、自身がいい加減な心や姿でいては、これは通じません。「昔は私も頑張ったんだ」といっても今が駄目ならこれも通じません。やはり本人に真摯な求め続ける心と努力があってこそ相手に伝わるものがあるのです。その点このご信心は「仏身に至(いたる)まで」、「生々世々(しょうじょうせせ)菩薩の道(どう)を行じ」る果てのないものですから、年齢や信歴に関係なくどこまでも求め続け、精進し続けることが可能です。「もとより罪根甚重(ざいこんじんじゅう)の凡夫であることの自覚」を忘れないことも「求め続ける心」を支えます。そしてこうした心得は、もちろん「教師」たる教務にも一層厳しく求められている“資格”だと存じます。受持ったご信者や自分の子供達が将来一人で生きていくとき、「厳しい人だったがこの信心のおかげで生き抜いていける」とでも思ってくれれば、それこそ役中冥利に尽きることだと思うのです。
○「宗綱」に一度は目を通しおく
―「宗門手帳」の活用を―
先月の第1回目では「お役中・組長はまず“公正”であってほしい」と申しました。それに次いでお願いしたいことが「せめて宗綱の全文だけでも目を通しておいてほしい」ということです。こんなことを申しあげるのは、筆者が現在宗門のお教務の養成機関である「佛立教育専門学校」で「法制」の授業を担当させていただいていることにもよるかとは存じますが、「宗綱」(本門佛立宗宗綱)というのは、「宗法」と共に宗内の最高規範(改正要件は「宗綱」の方が一層厳格)で、国でいえば憲法にも相当する根本規範だからです。この「宗綱」はくだけて言えば「本門佛立宗とは一体どういうものなのか?ということを最も基本的な点で明文化し、宗内外に宣明したもの」なのです。法令とか条文とかいうと、もうそれだけで拒絶反応を示す方も多いかとは存じますが、「宗綱」は全部でわずか14条しかありません。
そしてその内容は「名称」「沿革」「宗旨」「本尊」「修行」「法要式」「目的」「講有」「本山」「御講」「宗風」等など極く重要なものばかりなのです。佛立教育専門学校では学生お教務に必ず講義をいたしますが、これはお教務に限らず、本来はご信者も含めた全宗門人が基本的に理解しておくべき内容なのです。従来も第13条の第一号から第十号にわたって定められている「宗風」については、寒・夏期参詣の御法門等で何度か聴聞なさっているかと存じますが、他の条項もすべて大変重要なものばかりです。だからこそ宗務本庁から2年毎に刊行される宗門人用の「手帳」(2年間用)にも、初めの部分にその全文が掲載されているのです。 なぜ「宗綱」なんて難しそうなものを引き出して云々するのか、と感じておいでの方もあるでしょう。でも本当に大切なものなのです。そして何度か目を通しておくだけでもイザというとき、きっと役に立つのです。 例えば組長さんが組内のご信者や家族、結縁者や宗外者から「本門佛立宗ってどんな歴史をもっているのですか?」、「御本尊は何で、どんな修行をするのですか?」、「どこが本山で、どんな経典を大切にするのですか?」等の質問を受けたとき、正確に答えようと思ったら、まず「宗綱」を見て、これで答えるか、条文を示すかすれば間違いないわけです(もっとも、宗外者との間で、いわゆる「法論・問答」に及びそうな場合は、うかつにこれに乗らず「当宗は理屈ではなく現証布教ですから」と告げ、深入りを避けることも大切です)。
「歴史」は第2条(沿革)に「本宗は、高祖日蓮大士が、建長5年4月28日、久遠本佛(くおんほんぶつ)の宗旨を開宣されたときに創まる。その後、門祖日隆聖人が高祖の真義を発揚して、法華経本門八品(ほんもんはっぽん)の教えにより上行要付(じょうぎょうようふ)本因下種の教旨をあきらかにし、本宗を再興された。さらに安政4年1月12日、開導日扇聖人が本門佛立講を開き、蓮隆(れんりゅう)両祖の本意を伝えてその要義をあらわし(中略)根本道場たる本山宥清寺を中心に門末よく結束して弘通につとめ、昭和22年3月15日、日淳上人講有のとき、法華宗から独立して本門佛立宗となった」と記されています。
この一条だけで当宗の歴史・沿革の概要はもとより、蓮・隆・扇三祖のお名前も、根本道場たる本山宥清寺の名称も、立教開宗、本門佛立講の開講、法華宗からの一宗独立の時もすべて示すことができるわけです。欲をいえば西暦年代も記されていれば、とは思いますが、そこは条文ですからそれは致し方ないでしょう(後掲「付記」1参)。 なお「本尊」については第4条(本尊)に「本宗は、本門肝心上行所伝の南無妙法蓮華経の大曼荼羅を本尊とする」同第2項に「雑乱勧請(ぞうらんかんじょう)は厳に禁ずる」とありますから、これをこの通り示せばいいわけです。
以上はほんの一例ですけれど、ことほど左様に「宗綱」各条は端的であり、便利であるわけです。くどいようですが、決して全文を暗記せよと言っているのではありません。せめて目を通しておいて、大体の内容と「確か宗綱に書いてあった」と思い出せるくらいを記憶しておくだけでもいいのです。あとは「宗門手帳」さえ携帯していれば、それを見ながらでも結構対応できるはずです。なお第13条の「宗風」は「佛立宗門人のあるべき姿」「あるべき佛立信者像」を示すものですから、これもとても大切です。「十号までの名称だけでも、まず覚えていただけたら」と研修会ではお願いしました。
○「宗風十号」の名称の覚え方(「付記」2参)
宗綱第13条(宗風)の第一号から第十号までは、せめてその名称だけでも覚えてほしい、と申しましたが、これも少しは覚え易い覚え方があります。それは「佛立の七宝(しっぽう)」「信心の七宝(七聖財)」を基とする記憶法です。これは「聞(もん)・信(しん)・戒(かい)・定(じょう)・進(しん)・捨(しゃ)・懺(ざん)」の7つで、まずこれをそれぞれ宗風第一号から第七号に配当するのです。すると①聞→善聴(ぜんちょう)、②信→受持(じゅじ)、③戒→止悪(しあく)、④定→決定(けつじょう)、⑤進→精進(しょうじん)、⑥捨→喜捨(きしゃ)、⑦懺→懺悔(さんげ)となります(但し、七聖財の「聞」がそのまま「善聴」だというわけではありません。「善聴」は「聞」を基礎としてはいますが、「善聴」そのものの意義・内容は、やはり宗風第一号の条文の文言に即して理解しなくてはなりません。第二号以下も同様です。ここでは〈記憶のための便法〉として紹介しているのですから、その点は混同しないよう注意してください。「聞」即「善聴」ではないのです)。 右のようにしてまず第一号から第七号を覚え、それらを「日常の信行に実践し、異体同心で弘通して、浄佛国土(じょうぶっこくど)を目ざす」(第八号「日常信行」、第九号「異体同心」、第十号「浄佛国土」)のです。 このように「宗門手帳」には「宗綱」が掲載されている他、宗門の全寺院(海外含む)の所在地や連絡先・住職名、逮夜の一覧、年忌表や年齢(満)早見表、三祖略年譜等、お役中のご奉公の上で役に立つ情報も入っているのです。手帳はそれぞれ使い慣れたものもありましょうが、筆者はこうした観点から「宗門手帳」の購入(年によって変わりますが、現在1冊700円前後)とその活用を勧めています。
○不軽菩薩(ふきょうぼさつ)の心をいただく
組長・お役中の基本的心得として次に申しあげておきたいのは「不軽菩薩の心をいただく」ということです。 お祖師さまはご承知のように法華経の常不軽菩薩品第二十に登場する「常不軽菩薩」の修行のお姿を自らのお手本とされ、また弟子信徒にもそのことを度々説かれました。 御妙判には次のごとくお示しです。
①「日蓮は是法華経の行者也。不軽の跡を紹継するの故に」
(聖人知三世事・53歳・昭定843頁)
②「日蓮は彼の不軽菩薩に似たり。(乃至)日蓮と不軽菩薩とは位の上下はあれども、同業なれば、彼の不軽菩薩成仏し給はば、日蓮が仏果疑ふべきや」
(呵責謗法滅罪抄・52歳・昭定786頁) *「業」=「行い」「しわざ」
③「総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人々は日蓮が如くにし候へ」
(四菩薩造立抄・58歳・昭定1650頁)
④「不軽菩薩我深敬等の二十四字を彼の土に広宣流布し(乃至)彼の二十四字と此五字と其語殊なりと雖も其の意是同じ」
(顕仏未来記・52歳・昭定740頁)
※(①④は録内御書で御真筆現存もしくは曽存。②③は録外。)
右の①~④の御妙判はいずれも佐渡にご流罪になられた後のご晩年の御文です。 日蓮の弟子信者は、日蓮と同じように不軽菩薩のご奉公をお手本として妙法五字をご弘通せよ、そうすれば皆仏果がいただける、と仰せなのです。 この常不軽菩薩という方の修行の姿は次のようなものでした。「是の比丘凡そ見る所ある若しは比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷を皆悉く礼拝讃歎して、是の言を作さく、 我深く汝等を敬ふ、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べしと。(我深敬汝等 不敢軽慢 所以者何 汝当皆行菩薩道 当得作仏)」(法華経開結489頁) 文中の不軽菩薩の呼びかけの言葉の部分の御文は法華経の原文では漢字で二十四文字ですから、この二十四文字と御題目の五字・七字とは文字数は異なっているけれどその意は同じなのだ、と仰せなのです。比丘・比丘尼以下は、僧と尼僧、在家の男性信徒と女性信徒をさし、これを「サンガの四衆」といい、釈尊の教団の4種の基本構成員です。
不軽菩薩という方は、当時の僧はすべからく難しい経文を読誦し、山林等で修行するものとされていたのに、町や村に出てきて、経文を読誦せず、すべての行き会う人びと(所見の人)にただ二十四字を唱え、礼拝して呼びかけたわけです。「あなたは菩薩行をすれば必ず成仏できる素質を秘めておられるのですから、どうかそれに気がついて正しい修行をしてください」と。 ここで頂戴しておきたいのはお祖師さまの『観心本尊抄』の中の次の御文です。「人界に所具の仏界は水中の火、火中の水、最も甚だ信じ難し。(乃至)不軽菩薩は所見の人に於て仏身を見る。悉達太子は人界自り仏身を成ず」(本尊抄・昭定706頁) 不軽菩薩の修行は、通常「仏性礼拝行(ぶっしょうらいはいぎょう)」といわれます。それはもちろんその通りなのですが、本尊抄では「仏性を見る」ではなく、「仏身を見る」と仰せになっておいでなのです。そしてこのことは私共の現実のご奉公の場面において意外に大切なのではないかと存じます。
「仏性」というのは、教学的には随分難しいものだと存じますが、ここでは一往「仏に成る可能性」「成仏の素質」だといたします。「仏性礼拝」というと何となく抽象的な「仏性」そのものを拝んでいるような印象を字面から受けてしまいますが、現実にはまさか「その人の心の中の仏性を拝む」などという抽象的な行為ではないと存じます。実際には「生身の相手の人そのものを敬い拝む」他に拝みようはないのですから。 このことに関連して、次回はもう少し具体的な心得について述べたいと存じます。
・〔付記1〕(西暦も入れ、少し補筆してみました)
「《本門佛立宗の沿革》(本門佛立宗宗綱第二条に基づく)
本宗は、高祖日蓮大士(1222~1282)が、建長5年(1253)4月18日、久遠の本仏の宗旨を開宣(立教開宗)されたときに創まる。 その後、門祖日隆聖人(1385~1464)が高祖の真義を発揚して、法華経本門八品の教えにより上行要付本因下種の教旨をあきらかにし、本宗を再興された。 さらに幕末の安政4年(1857)1月12日、佛立開導日扇聖人(1817~1890)が、本門佛立講を開き、蓮隆両祖の本意を伝えてその要義をあらわし、僧俗一体の信心を確立して、弘通(布教)に新生面を開拓された。 爾来、日聞、日随、日教上人等が開導聖人の講有位を継承してその正統を護持し、根本道場たる本山宥清寺(京都・北野の地)を中心に門末よく結束して弘通につとめ、昭和22年(1947)3月15日、日淳上人が講有のとき、法華宗から独立して本門佛立宗となった。」
*なお当宗の弘通は、現在、ブラジル、韓国、台湾をはじめ、米国、オーストラリア、イタリア、スリランカ、フィリピン等にも伸展している。
(平成15年3月清風寺教育部刊の御通夜・葬儀告別式用『本門佛立妙講一座』―参列者等貸与用―に所掲)
所長・向井日報師が大放光の『新役中入門』(平成14年1月~20年12月)に連載した原稿に少し手を加え、佛立教養の向上を目的として月一回更新していきます。
まず「信心を根とする“公正さ”」を大切に
○はじめに
「大放光」編集責任の方から「今の役中さん向けのものを何か書いてほしい」とのご依頼を受けたのは、平成13年11月も下旬のことでした。以前にも同様のお話があり、その折りは「とても、とても」ということで固辞させていただいたのですが、今回は丁度清風寺で2年間にわたる寺内の「組長研修会」の1年目が終わったところで、「その研修会の内容をもとにしたものでいいから」とのこと。もとより浅学非才、信心も至って未熟であることは自身でもよく承知しており、とてもお役中に対する体系的な講義などさせていただくことのできるような器ではございません。実際、先述の第1年度の7回にわたる「組長研修会」も私が直接担当し講話をさせていただいたのは3回にすぎず、他の4回は他のお教務方にお願いしたほどです。
本誌上での「講話」は今回が初回ですので、まずは「組長研修会」の経緯と概要を略述いたしておきたいと存じます。そもそも清風寺には従来「教育部」という部署は無く、弘通部や教養部が分担して、お役中や、教養各会の研修会や教養会を開催してまいりました。ずっと以前には教務会が担当して『宗徒教範』(本庁刊)等をテキストとする研修会も実施されていた時期もあったのですが、近年はそれは行われず、寺内に「研修委員会」が組織され、そこが中心となって、幹部、教区長、教区役中等を対象とする研修会を、場合によって連合別や教区別に、寝屋川にある「回向堂研修センター」において、1泊2日等で実施してきたのです。講師は寺外・寺内の教講に依頼しておりました。しかし、こうした形態は研修委員会にも負担が大きく、また教養各会ごとの独自の研修も、相互の連けいという点で問題がある、ということで、やはり「寺内全体の教育を統括する部署が必要」という声が、特にご信者の中から大きくなり、先年の寺制改正にあたって新たに「教育部」が創設されたのです。
この部の部長はご信者で、教務会の教学部の執事が参与となっており、過去に幹部、教区長等を対象とする研修会を既に実施しました。昨年の「組長研究会」もご信者の声を大切にしつつ研修内容を策定し、まず寺内の各種の書類の使用法や具体的記入法などを分かり易くまとめた『書式便覧』を刊行した他、これも受講者の要望に基づいて『お助行・回向差定言上文』(組長用)も刊行・配布させていただくことができました。これは「お助行」「逮夜回向」「臨終のお看経」「納棺」「収拾舎利」などの差定・言上文が『妙講一座』を見なくても、その一冊で当該の箇所を頁を逐(お)って拝読・言上ができるようになっているものです。この二種の冊子は、幸い多くの組長さんに喜んでいただいております。 「組長研修会」のテーマは左の通り。
なお研修会は原則として毎月17日(平日)とし、午後7時から8時半までの1時間半。場所は清風寺の大講堂で、ありがたいことに毎回二百数十名の組長さん等が加行していただきました。
毎回資料を配布し、それを綴(と)じてゆく専用のファイルも支給、1年でファイルはほぼ満杯になりました。
○初心者の組長さんを念頭に置いて
研修にあたっては、まだお役に不慣れな組長さんを念頭に置き、できるだけ具体的・実践的であることに努めました。途中で質問も受けましたし、アンケートもいたしました。そうした中で改めて分かったことの一つに、結構ベテランの組長さんでも「初めて意味が分かりました」などということが随分あったことです。
前置きが長くなってしまいましたが、以上のような「組長研修会」のご奉公経験をもととしつつ、この誌上講話を及ばずながら執筆させていただきたいと存じますので、どうか宜しくお願いいたします。
○信心を根とする“公正さ”を大切に
さて、私が開講にあたって、組長・お役中に対し、最初にお話ししたのは、お役中の心得として、まず「公正さ」ということを大切にしてほしいということです。
例えば「組長」(部長)さんは、佛立宗の組織の基本である「組」(部)を預かる責任者です。御宝前から頂戴し、御住職から委嘱された「役」であることはもちろん忘れてはなりませんが、組内のご信者からみれば、何といっても自分の所属する組の代表者であり、指導者であり、責任者であるわけです。ですから組長たる者、自ら信心前を高め、率先垂範に努めることはもちろん、慈悲の心を根とした厳しさとやさしさの両面を兼ね備える努力が大切ですが、もう一つ特に大切にしていただきたいのが「公正である」ということです。組の代表者であり、責任者であるわけですから、組長の指示や言葉は組内のご信者からそれなりに大切にされます。しかし、それだけに、いやそれだからこそ、本当に重んじられ、一定の権威が認められるようになるには、やはりまず「公正さ」が大切だと思うのです。
例えば組内のご信者間で何か問題が生じた時など、組長は双方の意見や言い分をよく聞き、実際の情況をできる限り客観的に把握した上で、必要なら責任の御講師やご住職とも連絡を密にしつつ、公正な態度で対応し、偏(かたよ)りのない判断をすることが大切なのです。そこでは組長の私的な「我(が)」や好悪の感情を極力抑え、根っこのところに信心を置き、御宝前に向かわせていただく心が大切になります。それがご信心に即しつつ、組内に正しい秩序の維持を実現させていただくために不可欠な心得だと存じます。
譬(たと)えが少し大袈裟かもしれませんが、一つの国、あるいは社会など、あらゆる人間の組織や集団にとってまず第一に求められるのはその組織の「秩序の維持」ということです。その為に「法」や「ルール」があるわけです。もしその「法」が偏ぱで不公平なものであったり、組織の指導者が「法」を破って不正なことをしたりすれば、その組織の秩序は到底維持できるものではありません。「法の目的」は「秩序の維持」であり、そのために大切なのは①「法的安定性」と②「具体的妥当性(正義)」であるとされます。少し専門的な言葉ですから、分かり易く説明しますと、①の「法的安定性」というのは、基本的なルールがちゃんと理解され、受け入れられており、コロコロ変わったりせず支持されていることであり、②の「具体的妥当性」というのは、実際的な個々の事例・場面で、誰もが納得できる正しさがあり、平等公平だということです。
右の①も②も「当たりまえ」といえばその通りですが現実の社会では中々理想通りにはゆかないことはご承知の通りです。国際社会で不平等や不公正が高じれば国家間や民族間での戦争やテロが起こりますし、一つの社会・組織内でこれが高じれば治安が悪化し、ついには収拾のつかない混乱になります。
裁判などでよく争われるように、実際には一つの事件や物事でも、見方や観点、立場等によってその見え方も全く違ってくることが多いものです。だからこそ、一つの事件にしても、当事者双方の見解をよく聞き、事実をできる限り客観的に認識するように努力し、可能な限り真実を明らかにした上で、公正な判断、多くの人がなるほどと納得できる判断を下すことが大切になるわけです。
こんなことを言うと、お役中は「これは大変だ。そんな判断や対応など、自分にはとてもできない」としりごみする方もあるかもしれませんが、何も裁判官になるわけではありませんから、そんなに大層に考える必要はありません。ただ、大事な心得として「できる限り公正、公平に」という気持ちを大切にしてもらいたいのです。組内に問題が生じた際、少なくとも、よく調べもせず、確かめもせずに一方的な判断をしないように努め、穏やかに対応する。また、先輩役中さんに前例がどうなっているか、その時の対処がどういうもので、それがどのように受け入れられたか(あるいは受け入れられなかったか)、などを参考にする姿勢も大切です。なお、役務ご奉公全般において、各ご信者の個人的なプライバシーを大切にし、尊重することも、ご信者の信頼を得、いざというとき本当に腹をわって話をしてもらえるかどうかに大きく影響します。
お役中も凡夫ですから、至らぬ所もあれば失敗もあります。しかし、真面目な気持ちで御宝前におすがりし、できる限り公正に、と努力する姿勢さえあれば、きっと組内のご信者も次第に信頼を寄せ、助け、協力してくれるようになるものなのです。
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