パピルスは北アフリカのナイル川等に古くから自生するカヤツリグサ科の一種で、パピルス紙の原料ともされた。ペーパーの語源。 ナイル川辺りに自生するものは草丈2㍍にも達するそうですが、ウチのは120㌢くらいかな? 根元には水を張り、蚊の対策としてメダカを入れてます。(J・M)
今年のフクシャの花穂です。ロケットみたいな形でしょう。フクシャは、インド辺りの原産でジンジャーの仲間だって。だとすればゲットウ[月桃]などと同じですね。葉っぱもそっくりです。(J・M)
〈下の写真が昨年のフクシャの花です。夕方には匂い立ちます。〉
最初は、いわゆる新仔で、いわば鮒と同じ体色でしたが、だんだん変わってきて、今は、ニンジンのような淡いオレンジ色です。このまま色が揚がって、鮮やかな緋色になれば良いのだけれど…。(J・M)
〈下の写真が約40日前に撮影した新仔〉
数年前に、次男の隆が、裏庭の柿の木に、ミズゴケと共に巻き付けて行ったのが、場所が気に入ったのか調子よく育っていて、今年は10を超える花芽を付けました。
福岡は、今年7月の平均気温が日本一だった由ですが、比較的マメに水遣りをしたのが良かったのかな?
夕方には匂いが強くなります。
開導聖人が、「枯るなら枯よと思ひ捨たりし 庭の風蘭花さきにけり」と詠まれたのは、この時期だったのかな?
(J・M)
〈下の写真は古代バス系の皇居蓮[こうきょれん]です。ウチのビオトープで咲きました。中型の紅色系。〉
日も傾き夕食に出かけ、疲れを癒す食事の最中に、突然、妻が「サイフが無い」と言い出したのです。私にすれば、「パスポート」等が入っていたのではないかと心配で、家族中がレストランで大騒ぎになり、結局のところ小金とビサカードだけがサイフに入っていたとのこと、ピサの斜塔で買い物をした時に置き忘れたかスリに盗まれたかのどちらかです。
もうこうなると食事も喉を通りません。食事を早々に切り上げて一目散にホテルに直行、国際電話でカ-ド紛失届けをして、安堵の心に包まれますと、もういけません。疲労が一度に噴き出して、この日は家族そろって熟睡体制に入りました。
翌日は、香風寺フィレンツェ別院に集合し、まず、福岡御導師と別院の幹部の御信者方と口唱会をさせていただき、夜は福岡御導師並びに幹部の御信者方のお招きで、歓迎会を開いていただき、楽しいひとときを過ごさせていただきました。
次の日は、別院の御総講です。昨年、次男が別院に参詣させていただいて、イタリアの人達が御題目を唱える姿を見て「僕は感動した。」と言っていたのを思い出し、本当にイタリアの御信者方の御題目口唱は、真剣なものでした。福岡御導師の英語での御法門を、キィアッフィ良誓師がイタリア語に通訳し、真剣な眼差しで聴聞されていました。御内陣はヨーロッパ風のモダンな感じで、とても洗練されたつくりでした。
御総講が終わった夜、福岡御導師と家族4人で会食し、フィレンツェの名物Tボーンステーキ等をいただきながら、色々雑談をしてフィレンツェの夜は暮れていきました
イタリアでの最後の日、フィレンツェと並び称される、トスカーナの古都シエナに約1時間バスで向かい、世界一美しいと言われるカンポ広場、ドゥオーモ、ガイアの泉、マンジャの塔、プブリッコ宮等を見学し、私達家族のイタリア旅行は終わります。
最後に、私の一生に一度だけは行ってみたい国がイタリアでした。
今、思い出しますと15年前の家族旅行の時は、あんなに小さな子供達だったのに、今回の旅行で私達夫婦に、本当に気楽な日々を送らせてくれるまで成長した二人の息子達に「たくましさ」を感じると同時に、温かく迎えていただいた福岡御導師をはじめフィレンツェ別院の御信者方に感謝の気持ちをいだきながら、日本への帰路につきました。グラッテェ!
平成26年に団参が有るそうです。一生の思い出にイタリアお出かけになられてはいかがでしょうか?
文中の「イタリア・イタリア」との言葉のニュアンスは「大らかな」と言う意味で受け止めていただきます様にお願いいたします。 ―おわり―(R・K)
チャオ!
《平成26年に香風寺イタリア・フィレンツェ別院にて講有巡教が奉修されます。ぜひ皆さんお参詣しましょう!!》
さて、フィレンツェに到着し、ホテルのチェック・インまで時間があったので、荷物を預け、すぐさま駅に逆戻りして、今度は「ピサの斜塔」に向かいます。息子達は元気です。私達夫婦はクタクタです。
列車に飛び乗り約一時間、途中車内で妻が居眠りをしますと、別々に座っていたため、長男が偉そうに、「ここはイタリア、日本じゃないから居眠りなんかしてると物を盗まれるからダメ」と敵討ちです。
やっとのことで、ピサの駅に到着し、斜塔に向かいます。やはり長男はタクシーに乗せてくれません。今度は定期バスです。又、ここで問題が起こります。
息子達に任せておけば大丈夫と思っていますと、車中、チラリと傾いた建物の上部が私の目に入り、「ここが斜塔のバス停じゃないのか?」と長男に聞きますと、「わからん」と答えます。「そんなええかげんな!」と言うと「ここはイタリア、イタリア」と言われて返す言葉もありません。
思った通り、ピサの斜塔のバス停を乗り越してしまい、ダッシュでバスを降り、テクテクと徒歩で斜塔まで逆戻り、斜塔までの行軍中、次男は「イタリアには傾いた建物は多いから」って、兄の誤りを庇うのです。
「麗しき兄弟愛と思いながらも、嘘言え」、「ええかげんな兄弟や」と思いながら歩き続けた私です。
死にもの狂いで高い塀に囲まれたピサの門に到着し、ピサの斜塔は、写真の塔だけかと思っていたのが、この塔の前には、すごく立派な大理石で建築された教会があることと、ドゥオーモ広場の広々としていることには、驚かされてしまいました。
2時間くらい見学して、お土産を買って帰りのバスと列車に乗ってフィレンツェのホテルにチェック・イン、部屋に入ると、驚き 桃の木 山椒の木 だんだんよくなる法華の太鼓、ローマもナポリもフィレンツェも同額のホテルにもかかわらず、デラックスルーム、更に息子達の為には別の一室が用意されていたのです。
長男は血相を変えて、「これが本当に、ローマのホテルと同じ金額なの?」と私達二人に詰め寄ってきたのです。
妻が、「もうインターネットでお金は払い込んでいるから」と言うと、長男は「ホット」した顔になりました。
―つづく―(R・K)
《平成26年に香風寺イタリア・フィレンツェ別院にて講有巡教が奉修されます。ぜひ皆さんお参詣しましょう!!》
ナポリに帰る船は、水中翼船はもうコリゴリと妻が言いますので、倍の時間はかかる大型のフェリーで帰りました。
ホテルに帰る途中、ナポリならではの情趣あふれる下町「スパッカ・ナポリ(世界遺産)」を散策、ここを歩くと必ず持物が無くなると息子から言われ「用心」「用心」と心に言い聞かせながらホテルに帰りました。
さて、またまた問題が起こります。今度は「食事」です。毎夜、毎夜「パスタ」と「ピザ」が4日連続です。うんざりです。
しかし、息子達から、これしか無いと言われ我慢して「パスタ」と「ピザ」を食べること4日、そうしますと不思議なことに、5日目からは「パスタ」が無性に食べたくなるのです。これがホントの食中毒です。
翌日は、紀元79年8月24日にヴェスビオ火山の噴火により消滅したポンペイの古代遺跡を見学に行き、列車に乗っていますと、途中の駅から、カスタネット、タンバリン、太鼓やアコーデオンを持った若者4人が乗り込んで来ました。何が始まるかと思っていると、車内でラテン音楽の演奏を始めるのです。
更に驚いたことに、その演奏に合わせて乗客が踊り始めるのですから、なんと陽気な国民性だなと感じました。日本では考えられない!
ポンペイに到着し、古代遺跡を見学していると「悲劇詩人の家」の床に、鎖につながれた犬の絵が描かれていました。なんと「猛犬に注意」と書いているのには、今も昔も人間の生活様式は変わらないものだなぁ、とつくづく思いました。
次の日は、列車で3時間、ローマを経由してフィレンツェに向かいました。その車中でのこと、妻がホテルの領収書に目を通していますと、宿泊費の他に使途不明の50ユーロを発見し、長男に
「宣ちゃん、この50ユーロ(約5,000円)って何に使ったお金?」
と聞きますと、長男は黙っています。更に、突っ込んで聞きますと、
長男は「言わない」と答えます。
私達夫婦はこれは怪しいと思い、更に突っ込んで問い詰めますと、
「ホテルの洗濯代」と答えるので、「一体何を洗濯に出したのか?」と鞠問すると、「靴下やパンツ等10点、1点5ユーロ、メイドさんに訊ねたら、たいして高くないと言うから出した。後であまり高いので驚いた」と答えるのです。
そんなもの自分で洗える物じゃないかと私達夫婦は呆れはてながら、「タクシーに乗るのがもったいないって言って、クタクタになっていてもタクシーも乗せてくれなかったのに、50ユーロもあれば交渉しだいで4回以上乗れたのに」と言って、長男をここを先途と、懇懇と責めまくり、今までの鬱憤を一気に払拭したのです。―つづく―(R・K)
《平成26年に香風寺イタリア・フィレンツェ別院にて講有巡教が奉修されます。ぜひ皆さんお参詣しましょう!!》
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