私たちは何か事を起こそうというとき「たった自分一人だけでは」「どうせ私ひとりしか」という思いによって、今できることさえもせず、いつしかあきらめてしまうことが多いのではないでしょうか。

たとえば山歩きをしていて、立kenyusyo-blog-201111-shoin-shi.jpgて看板に「自然環境のために一人ひとりの協力をお願いします」という標語を見て、そうだその通りだと納得はしても、一方では、たった自分ひとりだけがゴミを捨てるのをやめてみたところで、私ひとりだけがゴミをひとつくらいを拾ってみたところで何も変わりはしないだろうと思ってしまうのです。しかし、自分ひとりだけでもゴミを捨てず、たったひとつのゴミを拾うことによって、そこにはわずかであっても小さな変化があることに気づくかなくてはならないのです。

「たぶんダメだろうと予想して何もしなかったら、それが予想通り一番ダメな結果である」という格言があります。 私たちがご信心ご奉公させていただくときにでも、まわりの人が協力してくれない、思い通りに事が運ばないという場面にはたびたび遭遇するものです。そこで、周りが悪い、環境が良くない、だから「たった自分ひとりだけが頑張ってみてもはじまらない」「どうせ私ひとりのご奉公ではどうしようもない」とあきらめてしまっては、それこそ何も始まらないのです。自分ではどうしようもないことやできない理由を指折り数えてみるよりも、たとえ小さなことであってもいま自分にできることをひとつでも多く数えてみる心がけでのご信心こそ大切なのではないでしょうか。

周りを変えよう、相手を変えようとすれば、まず自分自身が信心改良をさせていただくことが先決なのです。これこそ、唯一誰にも邪魔されずにできる確実な変化へのはじまりとなっているはずと信じて、そうして自分が変わった分だけ、周りも変わり、相手も変わっていく、そのさきがけが私の今日のご信心でありたいものです。そうした思いを忘れぬように、今日も一日「自分から、自分だけでも、自分のできる」信行ご奉公に励みたいものです。(S・T)

 

4月の御講席でご供養をいただきながら雑談をしていると、92歳になる坂本さんが「今年もヘチマを植えました」とのこと。今年はヘチマの苗が中々見つからず、庄内中の植木屋さんを自転車で回ったがないので、三国まで買いに行ったとのこと。組内で最高齢の坂本さん、そのフットワークの軽さに一同「へーっ」と唖然。毎年、ご自宅の庭で植えられ秋にヘチマ水を取っては化粧水にして組内のご信者にお裾分け。「ヘチマの実は中国人や沖縄の人は好んで食べられるし、もちろんタワシにもなる。実を収穫して秋口にツルからヘチマ水をとれば1本のツルから一升瓶で7~8本はとれますよ。これを生成すると咳止めの薬にもなるし、アルコールを加えると化粧水にもなるのですよ。市販のものはほんの僅かしかヘチマ水が入っていませんが家庭で作ると純度が高く良い化粧水になるのですよ」と坂本さん。とても92歳には見えない坂本さんの肌つやを見て、一同、納得。

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