早くも1月が終わろうとしてます。光陰矢の如しですね。
今年は特に冷え込みが厳しいようで、年末に生けた本堂ロビーの生花もようやく満開です。
特に梅が良い香を放っております。
2月は門祖聖人の549回目のご祥月ご命日。明年は、いよいよ550回御遠忌御正当の年!
前進前進また前進の気概で頑張れねばと、心には思う次第。息切れが心配です。(S・N)
『巨人軍は紳士たれ!』とは巨人軍の初代オーナー正力松太郎氏の言葉です。確かに巨人軍の選手はたとえ若手であっても茶髪に染めたり無精髭を生やしたりと、チャラチャラした選手は一人もいない。その点紳士的な球団と申せましょうが、今日勃発したフロントのいざこざ、所謂〝清武の乱〟といわれる一連の騒動はお世辞にも〝紳士的行為〟とは申せますまい。
少年時代よりの巨人ファンである私にとっても情けない限りで、初代オーナーもさぞや草葉の陰で嘆いておいででしょう。しかし何故斯様な醜態を晒す結果に陥ってしまったのか?それは偏にその初代オーナーの理念が言葉のみでしか伝えられていなかったが故と申さざるを得ません。松太郎氏存命中は殊細かく具体的にその理念を語られたと思われますが、しかし如何せん言葉のみで〝明文化〟された物が残されていなかったが故に、没後何十年と経ってしまえばその精神や理念も消え失せてしまうというのは有る意味当然の帰結といえるでしょう。
さて今回、寒夏の御法門テーマとして久方ぶりに〝宗風の実践〟が採り上げられました。十五世日晨上人のお言葉にも有る如く、宗法はいわば佛立宗の憲法であり、日本国憲法にもその内容を集約して示された〝前文〟というものが示されております。佛立宗の憲法たる宗法の前文に相当するのが〝宗綱〟で、その宗綱の第十三条としてこの〝宗風〟が示されているのであります。宗綱の前十二条は即ち佛立宗の〝法〟を集約して示されたものであり、第十三条の〝宗風〟はいわば佛立宗の〝人〟即ち〝ご信者らしさ〟或は〝佛立信徒の理想像〟、更に先の正力松太郎氏の言葉を借りれば宗風とは〝佛立信徒は菩薩たれ〟という理念を具体的に〝明文化〟されたものと解釈させて頂けます。
顧みれば、宗綱も宗風も昭和五〇年代に断行された宗制の抜本的な大改正の折に付加されたものであります。時の宗務総長は後に十八世講有となられる西村日地上人です。ご自身の義父に当たる十五世講有日晨上人のご依命を受け、敢て宗綱にこの宗風を盛り込まれたのであります。ひと口に〝ご信者らしさ〟といっても抽象的です。自身が存命中なれば殊細かく教導も出来ましょうが、一旦世を去った後、果たしてこの理念や精神が如何程迄に継承されるか否か?そう心労なされた日晨・日地両上人は〝ご信者らしさ〟という言葉のみではなく敢て〝宗風〟という〝明文化〟された形で、しかも宗制の最も重要な〝宗鋼〟の一部としてお遺しなされたのであろうと推測させて頂けます。今日二十数年ぶりに寒夏の御法門テーマとして採り上げられる事が出来たのもそのお蔭と申せましょう。
両上人のご慧眼と御威徳に心から敬服・感謝させて頂くと共に、その理念や精神を言葉のみの継承で終らせて仕舞えば誠に勿体無くも申し訳ない!と自身にも言い聞かせ、この寒夏の御法門を拝ませて頂いた次第であります。(R・K)
ご縁をいただいてフィリピン信徒の担当としてご奉公させていただいてから一年が経った。今までの出張ご奉公は3回にわたるが、渡航するたびに衝撃を受けるというか、信心というものの原点を肌で感じるような体験をすることばかりである。
昨年9月にマニラにおいて定例御講を教区長宅で奉修させていただいたが、その中に赤ちゃんを連れている婦人(年齢は恐らく20代)がお参りしていた。御講の終わった後に教区長から紹介され、「この方はご信者ではなかったのですが、入信したい申し入れがありましたので御本尊の奉安をお願いします」とのこと。「これは有り難い」と、早速翌々日にご自宅へ伺い、四畳ぐらいの部屋を寝室とダイニングの二間に分けた感じの部屋のダイニングのほうに御本尊奉安。自分をふくめ大人5人が押し詰め状態でお看経。その部屋の住人はその婦人と赤ちゃんだけ、いわゆるシングルマザーの家庭。
その時初めて知ったのだが、このご婦人は過去に2回ほど御講にフィリピン信徒に連れ参詣され、今回が3回目の参詣だったとのこと。そのご婦人曰く「HBS(本門佛立宗)のご信心は、自分のことしか願わない宗教ではなく、人のために願う、人の幸せを祈る宗教だからホンモノのご信心だと思った」と、これが入信の動機になったとのこと。
フィリピンの一般の現地人はいわゆる貧困層がほとんどで、このご婦人も例外ではありません。頼りになるはずの夫もいなければ、床が抜けてしまいそうな質素な部屋で暮らしており、自分たちがその日食べていけるかどうかと思われるなか、唖然とした自分の開いた口がふさがらなかった。
その日を生きるのが精一杯の状況下で「人のために願う、人の幸せを祈る」ことに合点がゆきホンモノだと感じたことに、逆に感銘し、教えられた。いつも「人のことを願う菩薩心」が大事と御法門を説いてきた立場にありながら、自らの命をつないでいけるかどうかという状況下で、自分自身は本当にそう思えるかどうか― 当初、フィリピンで「人のために菩薩行を」と説いても、食べることすらギリギリの生活を強いられている、貧しい現地の方に受け入れられるのかと懸念していた。しかしこのご婦人の意外な言葉を聞かされ、当宗の教え、み仏のお慈悲はやっぱり嘘じゃない、ホンモノのご信心だと感じると同時に、自分自身の「甘さ」も浮き彫りになった感があった。
本当に命がけで、一生懸命に生きているからこそ、「菩薩心」の大事なことに納得したのかも知れない。そんなホンモノのご信心に合点がゆき、入信を決意したこのご婦人は「ホンモノの菩薩」の感性を具えた人といえよう。(S・K)
○「宗綱」に一度は目を通しおく
―「宗門手帳」の活用を―
先月の第1回目では「お役中・組長はまず“公正”であってほしい」と申しました。それに次いでお願いしたいことが「せめて宗綱の全文だけでも目を通しておいてほしい」ということです。こんなことを申しあげるのは、筆者が現在宗門のお教務の養成機関である「佛立教育専門学校」で「法制」の授業を担当させていただいていることにもよるかとは存じますが、「宗綱」(本門佛立宗宗綱)というのは、「宗法」と共に宗内の最高規範(改正要件は「宗綱」の方が一層厳格)で、国でいえば憲法にも相当する根本規範だからです。この「宗綱」はくだけて言えば「本門佛立宗とは一体どういうものなのか?ということを最も基本的な点で明文化し、宗内外に宣明したもの」なのです。法令とか条文とかいうと、もうそれだけで拒絶反応を示す方も多いかとは存じますが、「宗綱」は全部でわずか14条しかありません。
そしてその内容は「名称」「沿革」「宗旨」「本尊」「修行」「法要式」「目的」「講有」「本山」「御講」「宗風」等など極く重要なものばかりなのです。佛立教育専門学校では学生お教務に必ず講義をいたしますが、これはお教務に限らず、本来はご信者も含めた全宗門人が基本的に理解しておくべき内容なのです。従来も第13条の第一号から第十号にわたって定められている「宗風」については、寒・夏期参詣の御法門等で何度か聴聞なさっているかと存じますが、他の条項もすべて大変重要なものばかりです。だからこそ宗務本庁から2年毎に刊行される宗門人用の「手帳」(2年間用)にも、初めの部分にその全文が掲載されているのです。 なぜ「宗綱」なんて難しそうなものを引き出して云々するのか、と感じておいでの方もあるでしょう。でも本当に大切なものなのです。そして何度か目を通しておくだけでもイザというとき、きっと役に立つのです。 例えば組長さんが組内のご信者や家族、結縁者や宗外者から「本門佛立宗ってどんな歴史をもっているのですか?」、「御本尊は何で、どんな修行をするのですか?」、「どこが本山で、どんな経典を大切にするのですか?」等の質問を受けたとき、正確に答えようと思ったら、まず「宗綱」を見て、これで答えるか、条文を示すかすれば間違いないわけです(もっとも、宗外者との間で、いわゆる「法論・問答」に及びそうな場合は、うかつにこれに乗らず「当宗は理屈ではなく現証布教ですから」と告げ、深入りを避けることも大切です)。
「歴史」は第2条(沿革)に「本宗は、高祖日蓮大士が、建長5年4月28日、久遠本佛(くおんほんぶつ)の宗旨を開宣されたときに創まる。その後、門祖日隆聖人が高祖の真義を発揚して、法華経本門八品(ほんもんはっぽん)の教えにより上行要付(じょうぎょうようふ)本因下種の教旨をあきらかにし、本宗を再興された。さらに安政4年1月12日、開導日扇聖人が本門佛立講を開き、蓮隆(れんりゅう)両祖の本意を伝えてその要義をあらわし(中略)根本道場たる本山宥清寺を中心に門末よく結束して弘通につとめ、昭和22年3月15日、日淳上人講有のとき、法華宗から独立して本門佛立宗となった」と記されています。
この一条だけで当宗の歴史・沿革の概要はもとより、蓮・隆・扇三祖のお名前も、根本道場たる本山宥清寺の名称も、立教開宗、本門佛立講の開講、法華宗からの一宗独立の時もすべて示すことができるわけです。欲をいえば西暦年代も記されていれば、とは思いますが、そこは条文ですからそれは致し方ないでしょう(後掲「付記」1参)。 なお「本尊」については第4条(本尊)に「本宗は、本門肝心上行所伝の南無妙法蓮華経の大曼荼羅を本尊とする」同第2項に「雑乱勧請(ぞうらんかんじょう)は厳に禁ずる」とありますから、これをこの通り示せばいいわけです。
以上はほんの一例ですけれど、ことほど左様に「宗綱」各条は端的であり、便利であるわけです。くどいようですが、決して全文を暗記せよと言っているのではありません。せめて目を通しておいて、大体の内容と「確か宗綱に書いてあった」と思い出せるくらいを記憶しておくだけでもいいのです。あとは「宗門手帳」さえ携帯していれば、それを見ながらでも結構対応できるはずです。なお第13条の「宗風」は「佛立宗門人のあるべき姿」「あるべき佛立信者像」を示すものですから、これもとても大切です。「十号までの名称だけでも、まず覚えていただけたら」と研修会ではお願いしました。
○「宗風十号」の名称の覚え方(「付記」2参)
宗綱第13条(宗風)の第一号から第十号までは、せめてその名称だけでも覚えてほしい、と申しましたが、これも少しは覚え易い覚え方があります。それは「佛立の七宝(しっぽう)」「信心の七宝(七聖財)」を基とする記憶法です。これは「聞(もん)・信(しん)・戒(かい)・定(じょう)・進(しん)・捨(しゃ)・懺(ざん)」の7つで、まずこれをそれぞれ宗風第一号から第七号に配当するのです。すると①聞→善聴(ぜんちょう)、②信→受持(じゅじ)、③戒→止悪(しあく)、④定→決定(けつじょう)、⑤進→精進(しょうじん)、⑥捨→喜捨(きしゃ)、⑦懺→懺悔(さんげ)となります(但し、七聖財の「聞」がそのまま「善聴」だというわけではありません。「善聴」は「聞」を基礎としてはいますが、「善聴」そのものの意義・内容は、やはり宗風第一号の条文の文言に即して理解しなくてはなりません。第二号以下も同様です。ここでは〈記憶のための便法〉として紹介しているのですから、その点は混同しないよう注意してください。「聞」即「善聴」ではないのです)。 右のようにしてまず第一号から第七号を覚え、それらを「日常の信行に実践し、異体同心で弘通して、浄佛国土(じょうぶっこくど)を目ざす」(第八号「日常信行」、第九号「異体同心」、第十号「浄佛国土」)のです。 このように「宗門手帳」には「宗綱」が掲載されている他、宗門の全寺院(海外含む)の所在地や連絡先・住職名、逮夜の一覧、年忌表や年齢(満)早見表、三祖略年譜等、お役中のご奉公の上で役に立つ情報も入っているのです。手帳はそれぞれ使い慣れたものもありましょうが、筆者はこうした観点から「宗門手帳」の購入(年によって変わりますが、現在1冊700円前後)とその活用を勧めています。
○不軽菩薩(ふきょうぼさつ)の心をいただく
組長・お役中の基本的心得として次に申しあげておきたいのは「不軽菩薩の心をいただく」ということです。 お祖師さまはご承知のように法華経の常不軽菩薩品第二十に登場する「常不軽菩薩」の修行のお姿を自らのお手本とされ、また弟子信徒にもそのことを度々説かれました。 御妙判には次のごとくお示しです。
①「日蓮は是法華経の行者也。不軽の跡を紹継するの故に」
(聖人知三世事・53歳・昭定843頁)
②「日蓮は彼の不軽菩薩に似たり。(乃至)日蓮と不軽菩薩とは位の上下はあれども、同業なれば、彼の不軽菩薩成仏し給はば、日蓮が仏果疑ふべきや」
(呵責謗法滅罪抄・52歳・昭定786頁) *「業」=「行い」「しわざ」
③「総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人々は日蓮が如くにし候へ」
(四菩薩造立抄・58歳・昭定1650頁)
④「不軽菩薩我深敬等の二十四字を彼の土に広宣流布し(乃至)彼の二十四字と此五字と其語殊なりと雖も其の意是同じ」
(顕仏未来記・52歳・昭定740頁)
※(①④は録内御書で御真筆現存もしくは曽存。②③は録外。)
右の①~④の御妙判はいずれも佐渡にご流罪になられた後のご晩年の御文です。 日蓮の弟子信者は、日蓮と同じように不軽菩薩のご奉公をお手本として妙法五字をご弘通せよ、そうすれば皆仏果がいただける、と仰せなのです。 この常不軽菩薩という方の修行の姿は次のようなものでした。「是の比丘凡そ見る所ある若しは比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷を皆悉く礼拝讃歎して、是の言を作さく、 我深く汝等を敬ふ、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べしと。(我深敬汝等 不敢軽慢 所以者何 汝当皆行菩薩道 当得作仏)」(法華経開結489頁) 文中の不軽菩薩の呼びかけの言葉の部分の御文は法華経の原文では漢字で二十四文字ですから、この二十四文字と御題目の五字・七字とは文字数は異なっているけれどその意は同じなのだ、と仰せなのです。比丘・比丘尼以下は、僧と尼僧、在家の男性信徒と女性信徒をさし、これを「サンガの四衆」といい、釈尊の教団の4種の基本構成員です。
不軽菩薩という方は、当時の僧はすべからく難しい経文を読誦し、山林等で修行するものとされていたのに、町や村に出てきて、経文を読誦せず、すべての行き会う人びと(所見の人)にただ二十四字を唱え、礼拝して呼びかけたわけです。「あなたは菩薩行をすれば必ず成仏できる素質を秘めておられるのですから、どうかそれに気がついて正しい修行をしてください」と。 ここで頂戴しておきたいのはお祖師さまの『観心本尊抄』の中の次の御文です。「人界に所具の仏界は水中の火、火中の水、最も甚だ信じ難し。(乃至)不軽菩薩は所見の人に於て仏身を見る。悉達太子は人界自り仏身を成ず」(本尊抄・昭定706頁) 不軽菩薩の修行は、通常「仏性礼拝行(ぶっしょうらいはいぎょう)」といわれます。それはもちろんその通りなのですが、本尊抄では「仏性を見る」ではなく、「仏身を見る」と仰せになっておいでなのです。そしてこのことは私共の現実のご奉公の場面において意外に大切なのではないかと存じます。
「仏性」というのは、教学的には随分難しいものだと存じますが、ここでは一往「仏に成る可能性」「成仏の素質」だといたします。「仏性礼拝」というと何となく抽象的な「仏性」そのものを拝んでいるような印象を字面から受けてしまいますが、現実にはまさか「その人の心の中の仏性を拝む」などという抽象的な行為ではないと存じます。実際には「生身の相手の人そのものを敬い拝む」他に拝みようはないのですから。 このことに関連して、次回はもう少し具体的な心得について述べたいと存じます。
・〔付記1〕(西暦も入れ、少し補筆してみました)
「《本門佛立宗の沿革》(本門佛立宗宗綱第二条に基づく)
本宗は、高祖日蓮大士(1222~1282)が、建長5年(1253)4月18日、久遠の本仏の宗旨を開宣(立教開宗)されたときに創まる。 その後、門祖日隆聖人(1385~1464)が高祖の真義を発揚して、法華経本門八品の教えにより上行要付本因下種の教旨をあきらかにし、本宗を再興された。 さらに幕末の安政4年(1857)1月12日、佛立開導日扇聖人(1817~1890)が、本門佛立講を開き、蓮隆両祖の本意を伝えてその要義をあらわし、僧俗一体の信心を確立して、弘通(布教)に新生面を開拓された。 爾来、日聞、日随、日教上人等が開導聖人の講有位を継承してその正統を護持し、根本道場たる本山宥清寺(京都・北野の地)を中心に門末よく結束して弘通につとめ、昭和22年(1947)3月15日、日淳上人が講有のとき、法華宗から独立して本門佛立宗となった。」
*なお当宗の弘通は、現在、ブラジル、韓国、台湾をはじめ、米国、オーストラリア、イタリア、スリランカ、フィリピン等にも伸展している。
(平成15年3月清風寺教育部刊の御通夜・葬儀告別式用『本門佛立妙講一座』―参列者等貸与用―に所掲)
「お月見の頃に茎を切ってヘチマ水を取ります」と坂本さんに教えていただき通り、御会式前に茎を切った。青々と茂ったヘチマもあっという間に枯れ、壁に張り付いた茎も難なく外れた。ヘチマは15本ほど実ったが、一部は刻んで日曜日のお供養のお味噌汁に入れ、あとは水につけて皮をふやかした。根からの茎は一升瓶が取り付けられヘチマ水が取られた。 ヘチマの実はその後、乾かして皮と種を取り除き、「ヘチマたわし」に変身した。ヘチマ水は精製されて「天然100%のヘチマ化粧水」へと変身した。11月13日(日)教養会総講の折に100本のヘチマ化粧水と数十個のタワシは「口引き」で分けられた。いただいたご信者は冥加料を納めた。この冥加料は震災の義援金に加えられた。 いよいよ、「ヘチマ化粧水」を試す時がきた。婦人会は「きっと坂本さんのようにきめの細かい美しい肌になる」と夢見ている。 「来年はもっと沢山植えましょうか」量産体制を考えている婦人会もいる。坂本さんは「同じだけ植えても来年は倍はとれますよ。今年よりも土が肥えているはずですから」と。
ヘチマ三兄弟は、私たちの目を楽しませ、実りを残し、来年への手回しもしてくれた。 ヘチマ三兄弟、ありがとう! 完 (S・O)
さて、『光陰矢の如し』とよく言われますが、我々教務さんはご信者の年忌をお勤めする際に〝もうそんなに歳月が経ったのかぁ〟と感慨に耽ることがまゝあるのではないでしょうか?先般私の祖母の23回忌の法要を無事お勤めさせていただきましたが、その祖母が亡くなった時のちょっとしたエピソードをお話致します。
その日私は先住の随行兼運転手で母親共々親子3人、綾部清現寺の御会式に御参詣させていただいておりました。無事御会式も終わり、その夜の宿である城之崎温泉の旅館に向け、温泉とカニ料理を楽しみにひた走って無事到着致しました。しかし駐車場の場所を聞きに行った両親が怪訝な顔をして車に戻ってくるのです。「おばあちゃん亡くなったんやてぇ」「ええ!!!!・・・・」私は頭の中が真っ白になりました。
実は我々が出発した直後に清現寺さんに連絡が入っていたのですが、携帯電話など無かった当時の事、道中連絡を受ける術は無かったのであります。温泉とカニ料理の楽しみは水の泡、旅館の方は祖母が亡くなったことをしりませんから無事旅館に着いたと言うことで、出してくれた〝縁起物〟の昆布茶だけを頂き、とんぼ返りで帰路に着き、結局その日は日帰りで500キロもの大移動となったのです。『あれからもう22年も経ったのかぁ。あの頃俺も若かったなぁ』と感慨ひとしおの一日でございました。
ちなみに私は過去4回城之崎を訪ねておりますが、一度家族旅行で訪ねた折、現地で発病してカニをひと口も食べられなかった事もございました。4回のうち2回もカニを食べ損なったとは!城之崎は私にとって鬼門なのでしょうか?ほんとは城之崎ではなく〝鬼〟之崎って書くのでは????????(R・K)
私たちは何か事を起こそうというとき「たった自分一人だけでは」「どうせ私ひとりしか」という思いによって、今できることさえもせず、いつしかあきらめてしまうことが多いのではないでしょうか。
たとえば山歩きをしていて、立て看板に「自然環境のために一人ひとりの協力をお願いします」という標語を見て、そうだその通りだと納得はしても、一方では、たった自分ひとりだけがゴミを捨てるのをやめてみたところで、私ひとりだけがゴミをひとつくらいを拾ってみたところで何も変わりはしないだろうと思ってしまうのです。しかし、自分ひとりだけでもゴミを捨てず、たったひとつのゴミを拾うことによって、そこにはわずかであっても小さな変化があることに気づくかなくてはならないのです。
「たぶんダメだろうと予想して何もしなかったら、それが予想通り一番ダメな結果である」という格言があります。 私たちがご信心ご奉公させていただくときにでも、まわりの人が協力してくれない、思い通りに事が運ばないという場面にはたびたび遭遇するものです。そこで、周りが悪い、環境が良くない、だから「たった自分ひとりだけが頑張ってみてもはじまらない」「どうせ私ひとりのご奉公ではどうしようもない」とあきらめてしまっては、それこそ何も始まらないのです。自分ではどうしようもないことやできない理由を指折り数えてみるよりも、たとえ小さなことであってもいま自分にできることをひとつでも多く数えてみる心がけでのご信心こそ大切なのではないでしょうか。
周りを変えよう、相手を変えようとすれば、まず自分自身が信心改良をさせていただくことが先決なのです。これこそ、唯一誰にも邪魔されずにできる確実な変化へのはじまりとなっているはずと信じて、そうして自分が変わった分だけ、周りも変わり、相手も変わっていく、そのさきがけが私の今日のご信心でありたいものです。そうした思いを忘れぬように、今日も一日「自分から、自分だけでも、自分のできる」信行ご奉公に励みたいものです。(S・T)
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