「一緒に入門」「できたてほやほや」の心で


○度(ど)しがたい凡夫(ぼんぶ)を救済せんとの慈悲


先月は「『無智の信心』を大切に」、というテーマで「無智宗」の本来の意味、智慧と知識の問題、「妙の世界へ入る」のは「いのちといのちの感応」だということ等について記しました。

  今月は「元来罪障が深くてが度(ど)しがたく、救済しがたい末法の凡夫を、何とかして救い、成仏へ導こうとして、み仏がお説きくださったのが最高真実の教えである法華経であり、さらには本門八品所顕上行所伝本因下種のお題目であること」と「ご信者、特にお役中がこの『位弥下』の教えをいかに体認し、後進のご信者や法燈相続に臨むべきであるか」について記したいと存じます。


  「教弥実位弥下」とは『摩訶止観輔行伝弘決(まかしかんぶぎょうでんぐけつ)』(妙楽大師)という、天台大師の『摩訶止観』を解釈した書に示される語で、「正(まさ)しく権実(ごんじつ)を判ず、教弥実(きょういよいよじつ)なれば位弥下(くらいいよいよくだ)る。教弥権(ごん)なれば位弥高し」とあるのに拠(よ)ります。

 要は、み仏の教えも真実の教えであればあるほど、その教えで救われるのは能力の劣った下根下機(げこんげき)の人にまで及ぶ、反対に教えが方便(ほうべん)・権教(ごんきょう)であるほど、その教えで救われるのは能力の優れた人に限られてくる、ということで、実教と権教の「救済力の違い」を判定される御文です。

  お祖師さまはこれに基づきつつ次のように仰せです。

「教弥(いよいよ)実なれば位弥下れりと云ふ釈(しゃく)は此意(このい)也。四味三教(しみさんぎょう)自(よ)り円教(えんぎょう)は機(き)を摂(せっ)し、尓前(にぜん)の円教より法華経は機を摂し、迹(しゃく)門より本門は機を尽(つく)す也。教弥実位弥下の六字に心を留(とど)めて案(あん)ずべし。(乃至)止観第六に云く、前教(ぜんきょう)の其位(そのくらい)を高くする所以(ゆえん)は方便の説なればなり。円教の位下(ひく)きは真実の説なればなり。弘決(ぐけつ)に云く、前教といふより下(しも)は正(まさ)しく権実(ごんじつ)を判ず。教弥実なれば位弥下く、教弥権なれば位弥高き故にと」

(四信五品抄・昭定1296頁)



右の御文の原文はすべて漢文で、ここでは訓み下しで拝見させていただきました。少々難しいと存じますが、大切な御文ですのでまず頂戴しておきます。御文の中の「弘決(ぐけつ)に云く、前教より下(しも)は」の意味は、先に紹介した『摩訶止観輔行伝
弘決』の文言の引用で、「摩訶止観の原文で『前教の其位云々』とある以下の一文の意は、権教と実教の救済力の違いを判定しているもので、これを要約すれば教弥実位弥下(きょうみじついみげ)、教弥権位弥高(きょうみごんいみこう)ということだ」ということです。その他の文言の一つ一つの説明は省略いたします。

要は、教えが真実であればあるほどどんな救い難い者でも救うことができる。それは法華経本門の教えに極まり、御題目こそ真実の中の真実の教えであるから、どれほど能力の劣った下根下機(げこんげき)・三毒強盛(さんどくごうじょう)の末法の凡夫でも成仏へと導くことができる力を有している。いいかえれば、私ども末法の罪障の深い凡夫のすべてを救済できる経力を有するのは上行所伝の御題目しかないということです。


  この権教と実教に対する判定は、一見反対ではないかとも思われます。つまり、教えが高度になればなるほど優秀な者でなければ理解できず、劣った者にはそれなりの初歩的な教えが適しているのではないか、というわけです。けれどもそうではないのです。なぜならこれは教えの「救済する力」についての判定なのです。そのことが理解し易いよう、古くからいろいろな譬喩が用いられます。

 例えば、薬についていえば、軽い病気や怪我ならちょっとした売薬や消毒で十分対応できるし、体力や免疫力の高い人なら少々の疾病などはほおっておいても自分の力で治すことができる。ところが重病・重症ともなればそれなりの医療・投薬・手術などが必要になる。ましてや、難病や重篤な症状ともなれば、これは最高の対応が求められる。末法の衆生はいわば重病中の重病で、しかも自身の体力も気力も免疫力も最低の状態であるから、どうしても最高の薬・医療を施す必要がある、というわけです。
ここでは御題目こそ最高この上ない良薬であり、どんな重病も治すことができるのだということを、疾病の程度と用いる薬との対応関係に譬えるのです。いわゆる「応病与薬(おうびょうよやく)」ということから、劣った者にこそ救済力の優れた真実の教えを施す必要性を説くのです。

  また別の譬えでは太陽の高さと、その光の届く範囲にも擬(ぎ)せられます。つまり、高度の低い朝の太陽の光は高い山の頂上などしか照らすことができないが、南中して真上に昇った太陽の光はどんな深い谷底にまでも届く、つまり、最も低い場所、どん底の衆生にまで救済の光を及ぼすというのです。
  ここではもちろん南中した太陽の光が御題目の経力に、それ以前の低い位置の太陽の光の及ぶ力が法華経以前に説かれた方便・権教に比せられているのです。ちなみに「方便」とは「真実最終の目的に導く手段手だて」の意で、ここでは「さし当たっての手当としての応急処置、教え」というほどの意です。「権教」の権は仮()りという意で、ここでは「真実ではなく、そこに至る手前の教え」というほどの意です。方便にせよ、権教にせよ、真実の教えではなく「当座の便宜的な処置」ですから、実教・御題目ほどの救済力はないのです。


○「易しさ」も大切な要件


  また、大学生ほどにもなれば相当な理解力を持っていますから、ちょっと教えられたり、ヒントを与えられたりしただけでも、いわば一によって十を知る、ということもありますが、小学生の理解力、ましてや幼児ともなればとてもそうはまいりません。よほどかみくだいて分かり易く、十全な教えでないととても手に合いません。「真実最高の教えである御題目をただ信じ唱えるだけで成仏という最高の果報がいただける」という「易(やさ)しさ」も「教弥実位弥下」の教えの大切な要件になってくる理由です。
  この視点から見ると、当宗の特色を示す、いわゆる「十二宗名(しゅうみょう)」についても、例えば先月学んだ「無智宗」「信心宗」はもとより「易行宗」や「経力宗」、さらには「名字即(みょうじそく)宗」「口唱宗」「事相(じそう)宗」等すべてに通じ、関連するのが「位弥下」の教えだということに気がつきます。

  凡夫の凡智を捨て、我(が)を捨てることによって仏智をいただく(無智宗)。それも信心によってそのすべてがいただける(信心宗)。それもただ御題目を受持信唱する(口唱宗)という易しい修行でよい(易行宗)。理論では解らず信ずることができないところを妙法の経力つまりご利生によって信じさせていただく(経力宗)。心のありようを正すことからではなく参詣し、実際に口に唱える、つまり姿形(すがたかたち)から入っていく(事相宗)といったことのすべてが、だれでもできて、だれもが得心し腑(ふ)に落ちて、結果だれもが大果報に与(あずか)れる、ということに照準を合わせているのです。「名字即」というのも、極く大雑把にいえば、めい想や観法などによって悟りを開くことのできる能力を持(これを観行即位[かんぎょうそくい]と申します)たず、悟りの中味も何も全く解らず、「ただ信じて御題目の名前(名字)だけを唱えることしかできない位」を申します。そんな下位・下機の凡夫である末法の私共をいわば正客(しょうきゃく)にしてくださるのも、正(まさ)しく「位弥下」の教えだからこそなのです。

実際的・具体的な、現代のお互いに即した「位弥下」のありようについては次号で記したいと存じます。


・付記

十二宗名(じゅうにしゅうみょう)覚え方の文

過去宗(かこしゅう)・下種宗(げしゅしゅう)・経王宗(きょうおうしゅう)

事 相(じそう)・無智宗(むちしゅう)・信心宗(しんじんしゅう)

易 行(いぎょう)・経 力(きょうりき)・口唱宗(くしょうしゅう)

名字即宗(みょうじそくしゅう)・位弥下宗(いみげしゅう)

直入法華折伏宗(じきにゅうほっけしゃくぶくしゅう) 


※経王宗=本門経王(ほんもんきょうおう)宗   

※位弥下宗=教弥実位弥下(きょうみじついみげ)宗


門祖日隆聖人御聖教【「十二宗名」の出典】

「日蓮宗と云者、過去宗也、下種宗也、本門経王宗也、事相宗也、無智宗也、信心宗也、易行宗也、経力宗也、口唱宗也、名字即宗也、教弥実位弥下宗也、直入法華折伏宗也。」

(十三問答抄上巻、在世下種ノ事・宗義書第二巻16頁)

イタリア紀行④
2013年1月25日(金)
 

さて、フィレンツェに到着し、ホテルのチェック・インまで時間があったので、荷物を預け、すぐさま駅に逆戻りして、今度は「ピサの斜塔」に向かいます。息子達は元気です。私達夫婦はクタクタです。
 

 列車に飛び乗り約一時間、途中車内で妻が居眠りをしますと、別々に座っていたため、長男が偉そうに、「ここはイタリア、日本じゃないから居眠りなんかしてると物を盗まれるからダメ」と敵討ちです。

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やっとのことで、ピサの駅に到着し、斜塔に向かいます。やはり長男はタクシーに乗せてくれません。今度は定期バスです。又、ここで問題が起こります。

 息子達に任せておけば大丈夫と思っていますと、車中、チラリと傾いた建物の上部が私の目に入り、「ここが斜塔のバス停じゃないのか?」と長男に聞きますと、「わからん」と答えます。「そんなええかげんな!」と言うと「ここはイタリア、イタリア」と言われて返す言葉もありません。
思った通り、ピサの斜塔のバス停を乗り越してしまい、ダッシュでバスを降り、テクテクと徒歩で斜塔まで逆戻り、斜塔までの行軍中、次男は「イタリアには傾いた建物は多いから」って、兄の誤りを庇うのです。

「麗しき兄弟愛と思いながらも、嘘言え」、「ええかげんな兄弟や」と思いながら歩き続けた私です。

 死にもの狂いで高い塀に囲まれたピサの門に到着し、ピサの斜塔は、写真の塔だけかと思っていたのが、この塔の前には、すごく立派な大理石で建築された教会があることと、ドゥオーモ広場の広々としていることには、驚かされてしまいました。


 2時間くらい見学して、お土産を買って帰りのバスと列車に乗ってフィレンツェのホテルにチェック・イン、部屋に入ると、驚き 桃の木 山椒の木 だんだんよくなる法華の太鼓、ローマもナポリもフィレンツェも同額のホテルにもかかわらず、デラックスルーム、更に息子達の為には別の一室が用意されていたのです。

 長男は血相を変えて、「これが本当に、ローマのホテルと同じ金額なの?」と私達二人に詰め寄ってきたのです。

 妻が、「もうインターネットでお金は払い込んでいるから」と言うと、長男は「ホット」した顔になりました。

―つづく―(R・K)


《平成26年に香風寺イタリア・フィレンツェ別院にて講有巡教が奉修されます。ぜひ皆さんお参詣しましょう!!》

 

○「無智宗」(むちしゅう)の教えの意味とその大切さ


―人間の知識の危うさを知って―


  前回まで三回にわたって「参詣の大事」のテーマで、「道場の能所(のうじょ)」や「親近(しんごん)と給仕(きゅうじ)」等について記しました。今月は当宗の信行における「無智の信心」の大切さについて申しあげます。特にお役中は「無智」の意味を誤解のないよう正しく理解していただき、それを踏まえて他のご信者を指導していただきたいのです。

 さて、ご承知のように、人間のすぐれた点は、あらゆることを考える知能を持っていることです。そのおかげで万物の霊長として地球上のあらゆる生物に君臨し、高度な文化や文明を築き上げて繁栄してきました。特に科学技術の発達は目覚ましく、私たちはその大きな恩恵を受けています。

  しかしその反面、環境は汚染・破壊され、核の脅威や資源の枯渇、地球の温暖化や貧富の格差の増大、社会・経済の不安、戦争・テロ・犯罪等に脅(おび)えているのも厳然たるお互いの姿であり、しかも依然として明日の自分の運命さえ知ることができないのです。人智の危うさ、頼りなさをよく知らねばなりません。

  よく考えてみれば、凡夫の智恵・知識は、基本的に自己本位であり、貪欲(とんよく・我欲)を根として働いているものです。そしてそうである限り、働かせれば働かせるほど争いが激化し、ついには互いを不幸や破滅に導くものなのです。み仏はそうした浅ましい人間の姿を「不択禽獣(ふじゃくきんじゅう)」(禽獣(きんじゅう)を択(えら)ばじ・譬喩品)と示されています。餌(え)を争い、共食いすら辞さない猛獣や猛禽の類(たぐい)と何ら異ならない、いや高度な技術を持つだけなお危ういと仰せなのです。こんなお互いが真実の幸福に向かう方法は、貪欲を根とする凡夫の智恵の働きをとどめ、素直正直な心になってみ仏の大きな智慧をそのまま無条件でいただくほかないのです。

 開導聖人が御教歌に

 末法は智慧をとゞめて信をとり となへて妙の門に入るなり

(てこのかたま 扇全十五巻一三七頁)

 とお示しなのは、まさしくこのことをお諭しくださるのです。

  門祖日隆聖人は、当宗の特色を十二の宗名(しゅうみょう)としてお示しくださった(いわゆる「十二宗名」)のですが、その中で「無智宗」「信心宗」と仰せになられたのは、まさしくここのところを指しておられるのです。

 つまり無智宗の「無智」とは、貪欲を本(もと)とする凡智(私[わたくし]・我[が])の働きをとどめよ、ということです。しかも仏智・仏慧(ぶって)は凡智で理解しようとして理解できるものではなく、ただ信ずることによってのみいただけるものですから、信心こそが唯一のいただく秘訣(ひけつ・信心宗)なのです。仏弟子中で智慧第一といわれた舎利弗尊者(しゃりほつそんじゃ)ですら、自分の智慧を捨て、信心をとることによってはじめて成仏を果たされます。法華経譬喩品(ひゆほん)で「汝(なんじ)、舎利弗すら、尚(なお)この経においては、信を以(もっ)て入ることを得たり。(乃至)己(おの)が智分(ちぶん)にあらず。(汝舎利弗 尚於此経 以信得入[いしんとくにゅう]〈乃至〉非己智分[ひこちぶん]」と示された通りです。

  ましてやお互いは尊者にも遠く及ばない末法の凡夫です。日蓮聖人はこの大事を「慧又堪(えまたた)えざれば信を以て慧に代(か)へ信の一字を詮(せん)と為す」(四信五品抄[ししんごほんしょう])と仰せです。戒律を守る等の六度行(ろくどぎょう・六波羅蜜[ろくはらみつ]を行ずる修行)など全く手にあわない凡夫にとって、み仏のお悟りのすべてがこめられた御題目を受持信唱するだけの一行で、み仏の智慧のすべてがそのまま私共に頂戴できるというのは、最後に遺(のこ)された誠に有難い大慈悲の極(きわ)みではありませんか。


習い事でも、上達の秘訣は、できれば最初から優(すぐ)れた先生について指導を受け、教え通りにそのまま身に付けていくことです。もし先に自己流の悪いくせが付いていれば、まずそのくせを取り除きながら、正しい技法や心得を修得してゆかねばなりません。我流を捨て切れなかったり、誤った教え(それは、いわゆる“世間の常識”であることもある)に左右されていては、真の上達はおぼつかないわけです。素直さと、信じて貫いていく心こそが上達と成長の基本であり、生きたものごとのまん中にすっと入っていく心なのです。


○智慧と知識

―いのちの世界に入るには智慧・霊性―

  「無智が大事」というのは「何も学習する必要がない」とか「科学技術など全く無用だ」という意味ではありません。そうではなくて人生を生きていくための本当の智慧や、「いのちといのちの世界」での感応と申しますか、まん中に入っていくあり方というのは、いわゆる世法上の知識や技術、論理とは別の次元だということです。読み書きや計算や機械の操作や、そういった知識や技術も現実の暮らしの中ではそれなりに必要であり、大切なのです。子どものときからの様々な勉強も学習の努力も、もとより大切であり、決して無用だなどと言っているのではありません。とても大切ではあるけれど、でもそれとは別の次元で、正しい人生を歩むための智慧の体得が必要なのであって、これが無いと知識も技術もほんとうの意味で正しく活かされず、人生の真価も発揮できなくなるというのです。

  例えば、同年代の日本人の子どもと、東南アジアの貧しい国の子どもとを較べてみましょう。確かに学科の知識などは日本人の子どもの方が段違いに優れているでしょう。しかし仮に自然の中で生活させてみたらどうでしょう。反対に、東南アジアの子どもたちの方がずっと高い生活能力を発揮するのではないでしょうか。それは自然に対する感受性や生きる力や智慧の違いでしょう。

 み仏は、いわば人類に対する「人生の導師」とも申せます。時代も国も超えて、人が幸せに生きるための深い智慧を教えてくださっているわけです。この「いのちある世界」と人間とのあり方、つまり「人と人との魂の感応」、「み仏の魂と人との感応」といった「いのちの世界」は知識だけではどうにもならないのです。

  中沢新一氏が河合隼雄氏と対談した『ブッダの夢』(朝日新聞社)という本の中で次のようなことを記しています。中沢氏がチベットで仏教を研究していたころのことです。

 当時欧米の学者も仏教に関心を寄せ、新進気鋭の学者が何人も研究に来ていたのですが、その人達に対してチベットの僧がこういうのだそうです。

「あの人たちは確かに語学にも秀れ、自分たちよりずっと分析能力がある。だけど肝心のところがわかっていないなあ」(取意)

 また夏目漱石の小説『行人』の主人公である大学教授「一郎」が思想や哲学を専攻していながら、最も身近な妻の心がついに信じられなくて悩み、「自分はいわば地図の上で地理を調査するばかりの者で、現実に自分の足で山河を跋渉(ばっしょう)する実地の人にはついに及ばない。自分は頭の中で物事の周囲を回ってばかりいる迂闊(うかつ)者だ」(取意)と表白するのも同じです。 

 本物の智慧はいわゆる知識とは別次元だというのはそういうことです。


○「土手の人」にならぬよう


 中西悟堂(ごどう)氏(故人)が『アニマ』という雑誌に「土手の人」という題で記していた随筆が、ある本に紹介されていました。その内容をかいつまんで紹介します。

 新潟県に瓢湖(ひょうこ)という小さな湖があります。この湖で、従来、学問的には不可能だとされていた野生の白鳥の成鳥の餌づけに成功したのが吉川重三郎(故人)という老人です。 

  この老人は、ある冬の日、飛来した野生の白鳥の姿を見てすっかり虜(とりこ)になってしまい、以来毎年とりつかれたように餌づけを試み、ついに成功したのです。

 老人はただ白鳥が大好きなだけで何の知識もありませんでしたから、餌に何がいいかすら分かりません。それでも、いろいろ工夫をこらし、ついに種モミに茶ガラを混ぜた餌を好むことをつきとめて、あとはひたすら湖に通い続けました。自分の姿も、いつも同じ野良着にし、人に笑われたり、ついには狂人扱いされたりするのも一切意に介せず、来る年も来る年も、まるで馬鹿のように繰り返したのです。そしてついに学会の定説をくつがえして見事に餌づけをしてしまったのでした。


  こうなると瓢湖は一躍有名になり、観光の名所にもなって県でも力を入れ始めました。あるとき、大きな調査の会がありました。当日は環境庁(当時)の専門の役人や野鳥の会の会員、生物学等の専門の先生などが多数集まりました。その前で吉川老人が土手を下りて白鳥に例の餌をやる。「コーイコイコイ」と声をかけると湖のあちこちに散っていた白鳥がスーと一斉に集まってくる。けんかをしても、老人が叱るとピタッとやめる。とにかく白鳥と老人との間には絶妙の呼吸があるのです、そこで今度は、土手の上で見ていた専門の人たちが老人のまねをして声をかけ餌をまいてみました。ところが老人以外の者がやると、今度は一斉にくるりと向きをかえて白鳥が逃げていってしまうのです。


  老人は文字通り無学なお百姓で、学界の常識はもとより、何の専門知識もありません。これに対して“土手の上の人たち”は専門家で鳥や自然の知識も一般の人よりずっとあるのです。例えば白鳥の渡りのコースとか、繁殖地とか種類などみな知っている。ところが現実に生きた野生の白鳥と心を通わせられるのは、この無智な老人だけ。これはもう、白鳥に対する心のありようの違いとしか申せません。いのちといのちとの交流・感応には単なる知識や理屈は通ぜず、ただ信じ貫く心と実践しかないという実例です。「凡智をとどめ、無智となってこそ仏智がいただける。それも信を貫くことによってのみ可能だ」との「無智宗」の教えはこういう意味なのです。

 み仏の偉大な智慧をいただくのに、凡夫の知識や理屈は邪魔にこそなれ全く役に立たない、ただ素直な信心を貫くありようのみが通ずるのです。


  何事においても力の及ぶ限り努力し、工夫を重ね、学び続けることは大切です。吉川老人も随分工夫・努力をしています。私共信者が御法門を繰り返し聴聞するのも大切なのです。しかし、もっと根本的に大切なのは、そのもととなる心に仏智をいただこうという姿勢です。正しい信心(妙法の受持信唱)を根として心を働かせ、実践・実地を重んじて暮らしていくことが大事なのです。

 開導聖人は御指南に仰せです。

「愚者(ぐしゃ)はならぬこともなるやうと願ふ心の有(ある)故に[乃至]一分(いちぶん)の智もあらねども自然(じねん)と其意(そのい)に当る也」

(十巻抄第一 扇全十四巻三八一頁)

「信の境(さかい)に入るは無智に限る也。妙は信より外に難入(なんにゅう)也」  

  (同 扇全十四巻三八一頁)

「信の境に入る」とは信心の極意を会得(えとく)するということです。それは凡夫の知識・分別を捨てて無智の信心に住する以外にはない。いざとなったら常識も我(が)も捨てて、御題目にすがり切っていくとき、はじめて真の妙法の経力をいただくことができるのだと仰せです。


  学者が不可能と断じていた野生の白鳥の成鳥と心の交流ができたのは、無学な吉川老人だけ(今は息子さんが継いでいる)でした。上行所伝の御題目は久遠(くおん)のみ仏の魂ともいのちとも申せます。このみ仏のいのち(妙)と末法の凡夫である私たちとが、「いのちの感応」をさせていただく道も、凡智を捨て妙法を無味(むみ)信唱させていただく以外にはないのです。それができず、常識とか分別とか理屈で臨(のぞ)もうとしていては、ついに「土手の人」で終わるしかないのです。知性の力(知識的理解)では入ることができないのが「妙」の世界なのです。 

 御妙判(日女御前御返事・昭定一三七六頁)に

「此御本尊も只信心の二字にをさまれり。以信得入とは此(これ)也。日蓮が弟子旦那等(乃至)無二に信ずる故によて此御本尊の宝塔の中へ入るべきなり」と仰せです。


  生きたいのちの核心にすっと入って感応が得られるか、周辺をめぐるのみの観察者・傍観者に終始するか、これは例えば人間関係をはじめあらゆるものごとにおける決定的な相違点となります。

 お役中は、「無智宗」の教えの真の意味を正しくいただき、無智の信心の力の素晴らしさ、偉大さをまず自身が感得させていただくとともに、他のご信者にもこのことをよく伝えさせていただきましょう。当宗のご信心の核心の一つなのですから。

「智者学匠といふとも凡夫也。舎利弗に及ばぬこといふ迄もなし。」

(十巻抄第一・扇全十四巻三八〇頁上)

イタリア紀行③
2012年12月10日(月)
 

 ナポリに帰る船は、水中翼船はもうコリゴリと妻が言いますので、倍の時間はかかる大型のフェリーで帰りました。

 ホテルに帰る途中、ナポリならではの情趣あふれる下町「スパッカ・ナポリ(世界遺産)」を散策、ここを歩くと必ず持物が無くなると息子から言われ「用心」「用心」と心に言い聞かせながらホテルに帰りました。

 さて、またまた問題が起こります。今度は「食事」です。毎夜、毎夜「パスタ」と「ピザ」が4日連続です。うんざりです。

 しかし、息子達から、これしか無いと言われ我慢して「パスタ」と「ピザ」を食べること4日、そうしますと不思議なことに、5日目からは「パスタ」が無性に食べたくなるのです。これがホントの食中毒です。

 翌日は、紀元79年8月24日にヴェスビオ火山の噴火により消滅したポンペイの古代遺跡を見学に行き、列車に乗っていますと、途中の駅から、カスタネット、タンバリン、太鼓やアコーデオンを持った若者4人が乗り込んで来ました。何が始まるかと思っていると、車内でラテン音楽の演奏を始めるのです。

更に驚いたことに、その演奏に合わせて乗客が踊り始めるのですから、なんと陽気な国民性だなと感じました。日本では考えられない!

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 ポンペイに到着し、古代遺跡を見学していると「悲劇詩人の家」の床に、鎖につながれた犬の絵が描かれていました。なんと「猛犬に注意」と書いているのには、今も昔も人間の生活様式は変わらないものだなぁ、とつくづく思いました。

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次の日は、列車で3時間、ローマを経由してフィレンツェに向かいました。その車中でのこと、妻がホテルの領収書に目を通していますと、宿泊費の他に使途不明の50ユーロを発見し、長男に

「宣ちゃん、この50ユーロ(約5,000円)って何に使ったお金?」

と聞きますと、長男は黙っています。更に、突っ込んで聞きますと、

長男は「言わない」と答えます。

 私達夫婦はこれは怪しいと思い、更に突っ込んで問い詰めますと、

「ホテルの洗濯代」と答えるので、「一体何を洗濯に出したのか?」と鞠問すると、「靴下やパンツ等10点、1点5ユーロ、メイドさんに訊ねたら、たいして高くないと言うから出した。後であまり高いので驚いた」と答えるのです。

そんなもの自分で洗える物じゃないかと私達夫婦は呆れはてながら、「タクシーに乗るのがもったいないって言って、クタクタになっていてもタクシーも乗せてくれなかったのに、50ユーロもあれば交渉しだいで4回以上乗れたのに」と言って、長男をここを先途と、懇懇と責めまくり、今までの鬱憤を一気に払拭したのです。―つづく―(R・K)


《平成26年に香風寺イタリア・フィレンツェ別院にて講有巡教が奉修されます。ぜひ皆さんお参詣しましょう!!》

イタリア紀行②
2012年11月17日(土)
 

次はナポリです。移動方法として、初めは普通の鉄道を利用することになっていましたが、今年からフェラーリ高速鉄道「イタロ」が開通したとのこと、イタリアに来たからには、「フェラーリ」に乗らなければと思い、時速300キロで一路ナポリに向かいました。見よ!これぞイタリアン・レッドです。
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ナポリはローマと違い漁業が中心の町、ザワザワとした下町の雰囲気が漂っていました。

ホテルにチェック・インすると、やはり思っていた通り、ローマのホテルと同額にもかかわらず、田舎町だからでしょうか?ランクは大違い、私は内心、少し優越感を取り戻します。

ホテルからのナポリ湾の眺めは素晴らしいものでした。ここで、付け加えますが、5月のイタリアは夜9時ごろまで太陽が燦燦と輝いているのです。1日の長いこと長いこと。こんな遅い時間まで大勢の小さな子供達が、外で遊んでいていいものなのだろうか?と感じながら、ナポリ湾の夜景を眺めていました。

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翌日、アマルフィー海岸かカプリ島のどっちに行くかと、大いに迷いましたが、時間的にカプリ島に渡ることになったのですが、これからが大変。8時に朝食をとり、9時に水中翼船に乗船しなければなりません。この船の上下運動の激しいこと、食事をして間も無い船旅ですから、船酔いの人々のラッシュです。私の前の男性が立ったり座ったりしていたので何をしているか分からなかったのですが、次男から船酔いしない様にしているのだと聞かされて納得。


家族のまず最初の犠牲者は妻です。そして、船中で私がガイドブックを読んでいますと、次男が偉そうに、「おやじ、こんな時に本を読んでいると船酔いで、えらい目に合うぞ」と高飛車に言うではありませんか。偉そうに言うなと思いつつも黙って聞いていました。

しかし、カプリ島に着岸し、タラップを降りた瞬間に、偉そうに言っていた次男が、岸壁にへたり込んでしまったのです。そして船酔いもせず平気でいる私に向かって、「やっぱり、おやじが一番強いんだな」と感心していました。口ほどにもないと思い、ここで、また父親としての権威を少し取り戻します。

妻は、かなりの重症で、船酔いが回復するまで一時間以上もかかり、また、カプリ島周遊の小型船に乗船すると聞かされて顔がひきつっていましたが、どうにかこうにか乗船しました。パーフェクト・ブルーの海です。しかし残念なことに、この日は運が悪く、潮が高くて「青の洞窟」には入ることが出来ませんでした。未練 未練 観れん!この次こそ!―つづく―(R・K)

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《平成26年に香風寺イタリア・フィレンツェ別院にて講有巡教が奉修されます。ぜひ皆さんお参詣しましょう!!》

 

―給仕(きゅうじ)について―


○「参詣」の要素②……「給仕」 


前回は「参詣」の要素①として、「親近(しんごん)」について申しあげ、同時にその注意点として、親近によってややもすると陥りかねない「悪狎(わるな)れ」「馴(な)れ馴れしさ」を戒めることの大切さ、恭敬(くぎょう)の心を失わないためにも「冥(めい)の照覧(しょうらん)」の教えを頂戴すべきことを申しました。
この「冥の照覧」について少し付言しておきたいと存じます。

  元来「冥の照覧」の教戒は当宗の信行全般にわたる基本的な心得事の一つで、それは例えば「宗風」の第二号「受持(じゅじ)」の条文に「……本尊の冥の照覧を信じ、口唱を正意(しょうい)として妙法経力をたのみ、給仕第一とつとめ、受持の一行に徹する」と明記されていることからもよくわかります。ちなみに宗風の「受持」は、「信心の七宝」の中の「信」に基づきつつこれを当宗に即した内容として条文化されたものですから、当宗の信心つまり妙法受持の大切な要素だということです。なお「身(しん)・口(く)・意(い)三業(さんごう)による受持」に配当すれば、「口唱正意」は口業(くごう)に、「冥の照覧」は意業(いごう)に、「給仕第一」は身業(しんごう)による受持にあたります。

 開導日扇聖人も御指南に仰せです。

①「自(おのずか)ら人目を謹むと云へども、全く冥の照覧を恐れず。此一句を常に口ずさむべし」     

(御法門書・扇全八巻254頁)  

②「智者愚者によらず、冥の照覧を恐るゝものなれば信者也。御弟子旦那也」

       (当世講要・扇全十四巻260頁)

  なお、中国でも元来は『礼記(らいき)』の中の各編の一つであった『大学(だいがく)』と『中庸(ちゅうよう)』にそれぞれ「君子(くんし)は必ず其の独(ひと)りを慎むなり」(大学)、「君子は其の独りを慎むなり」(中庸)とあって、立派な徳のある人は、他人の目のないときこそ自らの行為やあり方を慎むものだとされます。「小人(しょうじん)は閑居(かんきょ)して不善を為(な)す」(大学)に対する語で、こうした訓戒は世法(せほう)においても広く存在してきたものです。「冥の照覧」は佛立信心の上からのさらに徹底した教えであるわけです。


  お役中は、まず自身がこの「冥の照覧」を忘れぬように努めさせていただくことが大切なのです。法華経には「諸天昼夜(ちゅうや)に常に法の為の故に而(しか)も之(これ)を衛護(えいご)す」(安楽行品)と示されていることはよく知られていますが、常に見そなわしておられるということは、お互いにとって都合のいいことだけをご覧になっているばかりでなく、都合の悪い行為や思いもすべてお見通しだということです。ご守護も「法の為の故に」なのですから、それも忘れてはならないと存じます。

「お給仕」も、そこに「生身(しょうじん)のみ仏」「生身のお祖師さま」がおいでだと思って、つまり「在(いま)すが如く」(如才(じょさい)なく)させていただくということがまずは大切なわけで、「冥の照覧」の教えは「給仕」においても大事な心得事だと申せるわけです。


○「給仕」……「法の給仕」と「人(にん)の給仕」


  先月の「親近(しんごん)」において、「参詣は、道場に親近し、御宝前・み仏に親近し、御住職・お教務・ご信者方(つまり善師・菩薩方)に親近し、お仕え(お給仕)することでもあるわけです」と申しました。つまり参詣の中に自ずから親近もお給仕も伴っているのです。

 み仏のご在世の時は、み仏の許(もと)に参詣し、お給仕・ご供養をさせていただくわけですから、その給仕は基本的に「人」(にん)(み仏)に対するものがそのまま「法」に対するものとなるわけで、給仕をことさら人(にん)・「法」(ほう)に分けて考える必要はなかったと存じます。しかしみ仏のご入滅後となれば、み仏の説かれた法と、それを説く人との別が生じてくるため、給仕にも人法(にんぼう)の一応の区分ができてまいります。もっとも日蓮聖人は次のごとく仰せです。

「又妙法の五字を弘め給はん智者をば、いかに賤(いやし)くとも上行(じょうぎょう)菩薩の化身か、又釈迦如来の御使(おんつかい)かと思(おもう)べし」

      (法華初心成仏抄・昭定1422頁)

  「(今末法の世に)妙法五字の題目を弘通してくださるお方は、真の意味の智者なのであり、たとえその身分や外見が拙(つたな)くとも、その方は本仏の御弟子である本化(ほんげ)上行菩薩がお姿をお変えになった方か、もしくはみ仏の御使(如来使(にょらいし))かと感得して、お敬いさせていただかねばならない」とのお意(こころ)です。


釈尊入滅後二千年より後の末法の世には、もちろん釈尊ご自身はおいでではないけれど、上行所伝の御題目を弘通する者すべてが本化の菩薩・如来使である、ということは、佛立教講こそそうなのだ、ということです。

お役中はまず自身がその自覚を持つと同時に、他の教講に対しても菩薩・如来使に対する敬いとお給仕の心を持たせていただくことが大切なのです。末法現代においての「人の給仕」の基本的な心得はここにあると存じます。法華経提婆達多(だいばだった)品第十二には、釈尊が前世に王として法華経を求め、阿私仙(あしせん)という仙人に師事(しじ)する姿がとても具体的に示されています。次の通りです。


「王、仙の言(ことば)を聞いて歓喜踊躍(かんぎゆやく)し、即ち仙人に随(したが)って所須(しょしゅ)を供給(くきゅう)し、果(このみ)を採(と)り、水を汲(く)み、薪(たきぎ)を拾(ひろ)い、食(じき)を設(もう)け、乃至身(ないしみ)を以て狀坐(じょうざ)と作(な)せしに、身心倦(しんじんものう)きことなかりき。時に奉事(ぶじ)すること千歳(ざい)を経て、法の為の故に精勤(しょうごん)し給侍(きゅうじ)して、乏(とぼ)しき所なからしめき」

(開結344頁)

 お祖師さまも、そのご晩年の「身延山御書」に右の御文やその後の偈文(げもん)を引かれています。

「爾(そ)(そ)の時に阿私仙人と申す仙人来(きた)って申しける様は、実(まこと)に法を求め給ふ志御坐(こころざしおわさ)ば、我が云はん様に仕へ給へと云ひければ、大(おおい)に悦(よろこ)んで、山に入っては果(このみ)を拾ひ、薪(たきぎ)をこり、菜(な)をつみ、水をくみ、給仕し給ひける事千歳也。常に御(おん)口ずさみには、情存妙法故身心無懈倦(じょうぞんみょうほうこしんじんむけけん・情(こころ)に妙法を存(ぞん)ぜるが故に身心懈倦(しんじんけけん)なかりき)とぞ唱へ給ける。文(もん)の心は、常に心に妙法を習はんと存ずる間(あいだ)、身にも心にも仕(つかう)れども、ものうき事なしと云へり。此(かく)の如くして習ひ給ひける法は即(すなわち)妙法蓮華経の五字也。爾(そ)の時の王とは今の釈迦牟尼仏是也。仏の仕へ給ひて法を得給ひし事を、我朝(わがちょう)に五七五七七の句に結び置きけり。(乃至)『法華経を 我が得し事は薪(たきぎ)こり 菜つみ水くみ つかへてぞえし』(乃至)実(まこと)に仏になる道は師に仕ふるには過ぎず」     

(昭定・1917頁)


  法華経の御文には「精勤給侍」とありますが「侍」は「はべる」と訓(よ)み、近侍、侍者等と熟字するように、主人や師匠等の身近にはべり、つかえる意ですから、仕と同意です。なおここにも「給仕(侍)」と「親近(しんごん)」との元来の一体性がうかがえます。

 お祖師さまご自身が、法華経の御文を頂き、その教えのままに自ら御宝前にお給仕されたことが拝せられるわけで、私共もまずこのみ教えをそのまま頂戴させていただくことが大切なのです。先に引用した宗風第二号「受持」の条文に「給仕第一とつとめ」とあるのも、この教えをいただいたものに他なりません。


  私共佛立教講が、教務がお師匠や先輩お教務にお仕えし、ご信者がお導師・お教務方や他のご信者方にお給仕させていただく(人の給仕)と同時に、御宝前に唱題の音声(おんじょう・御法味(ごほうみ)をお供えし、毎日お掃除をさせていただき、お初水やお供え物、香華等(法の給仕)のお給仕を第一として大切にさせていただくのも同じ心、同じ姿なのです。


○「朗門(ろうもん)の三則」


―給仕第一、信心第二、学問第三―

 お祖師さまのお弟子の中でも最上足(じょうそく・高弟)の六師を「六老僧」と申し、その一人である日朗(にちろう)苦薩の門流を「日朗門流」「朗門」と申します。日朗(筑後[ちくご]房)は、お祖師さまの最初の弟子となった日昭の甥で、日昭が弟子となった翌年(建長六年)わずか数えの十二歳でお祖師さまの弟子となり、以来お祖師さまに近侍し続けた方です。立教開宗の翌年以来ですから文字通りお祖師さまのご弘通と共に歩まれたわけで、竜の口・佐渡のご法難の時も、捕えられ鎌倉で土籠(つちろう)に入れられています。伊豆のご流罪でも最後まで舟べりに取りつき、ために腕を折られていますし、佐渡へ赦免(しゃめん)(しゃめん)状を届けた(赦免の旨を通知した)のも日朗であったとの説もあります。ことほどさように近侍されたのです。佛立宗は他ならぬこの門流にあるわけで、この朗門流に伝わる大切な教えが「朗門の三則」つまり「給仕第一、信心第二、学問第三」の教えなのです。

 先に申しておきますが、この第一から第三という順番は、必ずしも価値(大切さの度合)の順位を示すものではありません。まず「給仕」させていただく。この給仕を通じてこそ正しい「信心」を感得させていただける。そしてこの信心を土台として学問をし、御法門を学ばせていただいてこそ正しい「学問」となるという順序次第を示す教えなのです。そういう意味でまず「給仕」が基本であり、大切・第一だというのです。

 前々号で記したように、当宗の信心は「信行」というように優れて身体的な面があり、行(ぎょう)を通じてはじめて感得でき「腑(ふ)におちる」面が基本的にあるのです。だからこそ、理屈から入るのではなく、身体性の強い「給仕」から入ってこそ正しい信心を感得し、正しい学問を得ることができる、という筋道を大切にするのです。「朗門の三則」はこのことを端的に示すものとも申せます。

イタリア紀行①
2012年10月28日(日)
 

 本年5月18日より10日間、福岡日雙導師のお招きで、香風寺フィレンツェ別院にお参詣させていただきました。

 前日の5月17日には、先住日宏上人の御13回忌を自坊でお勤めし、ローマ3泊、ナポリ3泊、フィレンツェ4泊の旅行日程を立て、15年ぶりの家族4人だけの気楽な旅行をさせていただきました。


 長男はイタリア語を少々話すことが出来ますし、又、次男は昨年、イタリアに単身で旅行していましたので、言葉と地理が分かっていれば恐いものはありません。しかし、ここに親としての権威は失墜し、「長幼の序」は「幼長の序」となり、親子としての竪の関係は逆転してしまったことは事実であります。


さて、世界遺産の3分の1を有するイタリア、その首都であるローマのフィウミチーノ空港に13時間を費やし、喧騒たる空港でタクシーの運転手と料金的なこと(倍以上の値段を要求する)で長男がスッタモンダの交渉の末、ホテルに無事到着、と思いきや、フロントの男性から部屋のシャワーの調子が悪いから、同系列のホテルに移動して欲しいとのこと、又荷物を積み直して、やっとのことでチェック・イン。

翌日ウェスパシアヌス帝の命により紀元80年に完成した円形闘技場「コロッセオ」に向かう折、タクシーに乗ろうとしたところ、長男から「何故、タクシーなんかに乗るの?1ユーロ(約100円)で地下鉄は乗り放題なのに。」と言われて以来、移動方法は徒歩とバスと地下鉄が中心となりました。

やっとのことで、「コロッセオ」に到着、今まで見た写真と実物とでは大違いです。たどりつくまで遠いこと、遠いこと、大きいこと、大きいこと、中に入り、階段を登るのもひと苦労、降りるのもひと苦労、ヘトヘト、「地球の歩き方」そのものでした。

 

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 ローマでは他に、スペイン広場、サンタンジェロ城、ピエトロ大聖堂等を見学し、ローマ帝国がヨーロッパ全土を支配し、この国の文化がヨーロッパの基礎になったのかと思うと、あらためて、イタリアの歴史の深さに感心させられました。

 ところで、私達の行動に話はかわりますが、親子という立場は逆転していますから、ユーロを所持しているのは息子達です。私達夫婦はポケットに、コインを所持しているだけで、ホテルの枕銭くらいしか持ち合わせていませんでした。たまりかねた私は「ネェ、ちょっとお金頂戴」とおねだりしなければならない有様です。


 更に悪い事に、イタリアでは路上でタバコのポイ捨てなど平気で行われている公衆道徳の非常に悪い国にもかかわらず、近年、屋内は禁煙になり、それを知らなかった私はホテルのロビーの机の上に灰皿らしき物が置かれていましたから、タバコを吸っていますと、フロントの女性から、こっぴどく叱られまして顔面蒼白、親の権威は益々失墜してしまいました。


しかし、私の親としての権威失墜もここまで、と言いますのも、ローマ在中のホテルは息子がインターネットで予約したホテルでした。後のナポリ、フィレンツェのホテルは妻と二人で、インターネットで予約したホテルで、同じ金額にもかかわらず、息子が予約したホテルは日本のビジネスホテルに毛が生えたくらいのものでした。私は「今に見ていろ」と腹の中で、虎視眈々と臥薪嘗胆の思いで親の権威回復の時機が来るのをじっと待っていました。なんやかんやあった「ローマの休日」はまたたく間に終わりました。―つづく―(R・K)


【写真はコロッセオ】

《平成26年に香風寺イタリア・フィレンツェ別院にて講有巡教が奉修されます。ぜひ皆さんお参詣しましょう!!》

 

○「参詣」の要素①……「親近(しんごん)
 
  前回は、当宗信行の根幹の一つである「参詣の大事」
(1)として、「道場の能所(のうじょ)」や「身体的に“に落ちる”こと」の大切さ、「(ば)」や「つながり」のあり方を見直すことの大切さを申しあげました。 今月は、「参詣」にともなう大切な要素である「親近(しんごん)」と「給仕(きゅうじ)」のうち、まず「親近」について申しあげます。

 はじめに高祖日蓮
大士(だいじ)の御妙判をいただきます。「法華経の文字は六万九千三百八十四字、一一(いちいち)の文字は我等が目には黒き文字と見え候へども、仏の御眼(おんまなこ)には一一に皆御仏(みほとけ)也。[中略]玉泉(ぎょくせん)に入(いり)ぬる木は瑠璃(るり)と成る。大海に入ぬる水は皆鹹(しわゆゆ)し。須弥山(しゅみせん)に近づく鳥は金色(こんじき)となる也。[乃至]何況(いかにいわんや)法華経の御力(おんちから)をや。」(本尊供養御書・昭定1276頁) 右の御文は建治212月、55歳のお祖師さまがご信者の南条平七郎に宛てられた御消息(ごしょうそく・お手紙)の一節です。 
  玉泉に入った木は、ただの木でも瑠璃と変じ、須弥山
(シュメール・妙高山とも。仏教の世界観の中央の山)に近づいた鳥は自然に皆金色の鳥になるといわれる。ましてや法華経の御本尊・御宝前に近づいた者は、それが凡夫であっても、御題目をお(たも)ちし、御宝前に親近した功徳は計りしれず、大果報を頂戴することができるのだ、と仰せです。「親近」は「親しく近づく」ことですが、「親」は「まのあたり」とも(よ)み、まのあたりにできる位置まで近づく意でもあります。参詣は、道場に親近し、御宝前・み仏に親近し、御住職・お教務・ご信者方(つまり善師・菩薩方)に親近し、お仕え(お給仕)することでもあるわけです。

  「親近」しなければ先月学んだような種々の功徳もいただけないわけですから、まず近づく、それもできる限り数多く近づき、できる限りおそばに居らせていただくことが大切なのです。
 法華経法師品に「若親近法師(にゃくしんごんほっし) 速得菩薩道随順是師学(そくとくぼさつどうずいじゅんぜしがく) 得見恒沙仏(とっけんごうじゃぶつ)若し法師に親近せば(すみ)やかに菩薩の道(どう)を得(え) 是(こ)の師に随順して学(がく)せば恒沙の仏を見たてまつることを得ん)と示されるのはこのことを仰せなのです。(もっともここで「法師」とあるのは必ずしも出家の僧のみをさすのではなく、在家・出家にかかわらず、妙法を(たも)ちご弘通に励む人こそまことの菩薩・如来使であり、そうした人はすべて法師だとされています)

  ○「親近」における注意点・・「悪狎(わるな)れ」 

  正しいご信心、信行のあり方を学び、感得させていただくためには、道場に参詣し、御宝前に近づき、善き「法師」に親近させていただくことが極めて大切であることはこれまで申しあげた通りです。本堂や御講席などでも「できる限り席を前に進みなさい」と教えられるその理由も、御宝前から遠く離れた所で、御本尊も(まのあた)りに拝めず、御導師の顔も見えず、御法門の声も遠くて聞きとりにくいようではやはり残念です。参詣者や場所の関係でやむを得ないときは致し方ないでしょうが、前に進もうと思えば席もあるのに、遠く後ろの席を好むのは「親近」ではなく「遠離(おんり)」で、もったいないですね。遠慮も時と場合によるわけです。厚かましさとは別です。できるだけ早く参詣して、親近できる場所を求めるのが本来の姿です。  自分の好きな映画や観劇なら、自然に欲も出て親近するはずです。お役中は、まず自身が「親近」の大切さをよく感得し、組(部)内一般のご信者にも優しくそのことを教えてほしいのです。ただ「親近」にもつ注意点があります。それは「近づき過ぎて、あるいは近づいている間に、ついつい(な)れ馴れしくなってしまう」、「悪狎(わるな)れ」してしまうことです。

 誰しもあることですね。最初は「私のような者がもったいない」という気持ちがあり、緊張もし、相手を敬う心もあるのですが、しばらくして慣れてくると、緊張感も失われ、相手も身近になって「何だ、こんなものか」といった心が起こってきて、敬う気持ちが失せてしまうことがあるのです。「慣れる」ことはそれ自体決して悪いことではないのですが、それがいい意味での熟練・ベテランの方向に向かうか、悪狎れ、馴れ馴れしさ、慢心の方向に向かうかは、一にかかって本人の自戒の有無によります。

 人間関係でも、少し離れた遠くから見ていたときは、とても素晴らしい人だと思い、(あこが)れたり尊敬したりしていたのに、親しく近づいてお付き合いをさせていただいているうちに、今までは見えなかった人間くささや、欠点などが目に付くようになり、そうなると、憧れも尊敬もなくなり、「なあんだ、こんな人だったのか」などと急に心がさめて、敬うどころか反対に軽べつさえしかねない、そんなことがありますね。それは恋人が結婚して夫婦になったとき、職場の上司と部下、友人同志といった間柄でもありうることです。 でも、ほんとうの相手には、それでも優れた点もあり、尊敬すべき点や学ぶべき点は沢山あるはずなのです。近づき過ぎて(かえ)って見失ってしまうものがある。見えなくする心が自分の中に生じてしまうことがあるわけです。
 この点につき『論語』に次のような言葉があります。

(イ)(し)の曰(のたま)わく、民の義を務(つと)め、鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂(い)うべし」「先生はいわれた、『人としての正しい道をはげみ、神霊には大切にしながらも遠ざかっている。それが智といえることだ』」(岩波文庫ワイド版・118頁・雍也(ようや)第六)
(ロ)「祭ること在(いま)すが如くし、神を祭ること神在すが如くす」「御先祖のお祭りには御先祖がおられるようにし、神々のお祭りには神々がおられるようにする」(同書・59・八佾(はちいつ)第三)

 いずれも孔子の言葉で、儒教の教えですから、もちろんすべてをそのまま受取るわけではありませんが、参考として学ぶ面はあります。(ちな)みに(イ)は「敬遠」の(ロ)は「如在(じょさい)(如才)の語の典拠ともされます。「鬼」というのは、中国では元来亡くなった人の霊魂のことであり、「神」というのは「神霊」のことであって、いずれも生きた人間の力を超えた力を有するとされます。「それらを敬い大切にはするが、馴れ馴れしく近づいてもてあそぶことのないように」というのが「敬してこれを遠ざく」つまり「敬遠」の元来の意味なのです。現在の私たちの「煙たがって離れている」意とは随分違います。孔子は、決して「煙たがって離れていよ」と言っているのではなくて、むしろ「敬う心を大切にするため、あまり(な)れ親しんではならない」と言っているのです。

 
「如在」は「(いま)すが如く」という意ですから、祖先の霊や、神々をまつ・祀)るということは、姿は見えなくてもあたかも目の前にその方がおいでであると思い、その如くにさせていただくことが大切だ、と言っているのです。当宗でいう冥(めい)の照覧(しょうらん)(冥は冥闇の冥でうすぐらく、こちらからはさだかに見えないこと。顕(けん)・明(みょう)に対する語。み仏のお姿は凡夫からはそれと見えないが、み仏はすぐそばからすべてを明らかに御覧になっていること)と似た意ですね。「如才」は〈在〉が才〉に転訛したもので、「いつもそばにおいでだと思って油断しないこと」が元の意。これが転じて「如才なく」が「遺漏なく、油断なく」になったのです。
 孔子は「敬いを失くさぬよう、あまり近づかない方がいい」しかし、「そこに在すと思ってお祀りせよ」と言いました。しかし、当宗はそうではありません。「親近」しながら「恭敬(くぎょう)」せよ、と教えられるのです。何といっても親近しなければみ教えを感得し難いからです。ただその際やはり、近づき親しみ過ぎて悪狎れをしたり、慢心を起こしたりすることのないよう、これは十二分に(みずか)らを戒め、尊敬の心、恭敬の心を失わぬように注意をさせていただかねばならないのです。難しいことですね。そこに大切になってくるのが、み仏やお祖師さまのお姿はそれと見えなくても、すべて照覧なさっているという「冥の照覧」の教えであり、それを忘れぬようにしてこそ本来の意味での「如才ない」信行をさせていただくことができるのです。

 「給仕」については次回で申します。

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