「お月見の頃に茎を切ってヘチマ水を取ります」と坂本さんに教えていただき通り、御会式前に茎を切った。青々と茂ったヘチマもあっという間に枯れ、壁に張り付いた茎も難なく外れた。ヘチマは15本ほど実ったが、一部は刻んで日曜日のお供養のお味噌汁に入れ、あとは水につけて皮をふやかした。根からの茎は一升瓶が取り付けられヘチマ水が取られた。 ヘチマの実はその後、乾かして皮と種を取り除き、「ヘチマたわし」に変身した。ヘチマ水は精製されて「天然100%のヘチマ化粧水」へと変身した。11月13日(日)教養会総講の折に100本のヘチマ化粧水と数十個のタワシは「口引き」で分けられた。いただいたご信者は冥加料を納めた。この冥加料は震災の義援金に加えられた。 いよいよ、「ヘチマ化粧水」を試す時がきた。婦人会は「きっと坂本さんのようにきめの細かい美しい肌になる」と夢見ている。 「来年はもっと沢山植えましょうか」量産体制を考えている婦人会もいる。坂本さんは「同じだけ植えても来年は倍はとれますよ。今年よりも土が肥えているはずですから」と。
ヘチマ三兄弟は、私たちの目を楽しませ、実りを残し、来年への手回しもしてくれた。 ヘチマ三兄弟、ありがとう! 完 (S・O)
さて、『光陰矢の如し』とよく言われますが、我々教務さんはご信者の年忌をお勤めする際に〝もうそんなに歳月が経ったのかぁ〟と感慨に耽ることがまゝあるのではないでしょうか?先般私の祖母の23回忌の法要を無事お勤めさせていただきましたが、その祖母が亡くなった時のちょっとしたエピソードをお話致します。
その日私は先住の随行兼運転手で母親共々親子3人、綾部清現寺の御会式に御参詣させていただいておりました。無事御会式も終わり、その夜の宿である城之崎温泉の旅館に向け、温泉とカニ料理を楽しみにひた走って無事到着致しました。しかし駐車場の場所を聞きに行った両親が怪訝な顔をして車に戻ってくるのです。「おばあちゃん亡くなったんやてぇ」「ええ!!!!・・・・」私は頭の中が真っ白になりました。
実は我々が出発した直後に清現寺さんに連絡が入っていたのですが、携帯電話など無かった当時の事、道中連絡を受ける術は無かったのであります。温泉とカニ料理の楽しみは水の泡、旅館の方は祖母が亡くなったことをしりませんから無事旅館に着いたと言うことで、出してくれた〝縁起物〟の昆布茶だけを頂き、とんぼ返りで帰路に着き、結局その日は日帰りで500キロもの大移動となったのです。『あれからもう22年も経ったのかぁ。あの頃俺も若かったなぁ』と感慨ひとしおの一日でございました。
ちなみに私は過去4回城之崎を訪ねておりますが、一度家族旅行で訪ねた折、現地で発病してカニをひと口も食べられなかった事もございました。4回のうち2回もカニを食べ損なったとは!城之崎は私にとって鬼門なのでしょうか?ほんとは城之崎ではなく〝鬼〟之崎って書くのでは????????(R・K)
私たちは何か事を起こそうというとき「たった自分一人だけでは」「どうせ私ひとりしか」という思いによって、今できることさえもせず、いつしかあきらめてしまうことが多いのではないでしょうか。
たとえば山歩きをしていて、立て看板に「自然環境のために一人ひとりの協力をお願いします」という標語を見て、そうだその通りだと納得はしても、一方では、たった自分ひとりだけがゴミを捨てるのをやめてみたところで、私ひとりだけがゴミをひとつくらいを拾ってみたところで何も変わりはしないだろうと思ってしまうのです。しかし、自分ひとりだけでもゴミを捨てず、たったひとつのゴミを拾うことによって、そこにはわずかであっても小さな変化があることに気づくかなくてはならないのです。
「たぶんダメだろうと予想して何もしなかったら、それが予想通り一番ダメな結果である」という格言があります。 私たちがご信心ご奉公させていただくときにでも、まわりの人が協力してくれない、思い通りに事が運ばないという場面にはたびたび遭遇するものです。そこで、周りが悪い、環境が良くない、だから「たった自分ひとりだけが頑張ってみてもはじまらない」「どうせ私ひとりのご奉公ではどうしようもない」とあきらめてしまっては、それこそ何も始まらないのです。自分ではどうしようもないことやできない理由を指折り数えてみるよりも、たとえ小さなことであってもいま自分にできることをひとつでも多く数えてみる心がけでのご信心こそ大切なのではないでしょうか。
周りを変えよう、相手を変えようとすれば、まず自分自身が信心改良をさせていただくことが先決なのです。これこそ、唯一誰にも邪魔されずにできる確実な変化へのはじまりとなっているはずと信じて、そうして自分が変わった分だけ、周りも変わり、相手も変わっていく、そのさきがけが私の今日のご信心でありたいものです。そうした思いを忘れぬように、今日も一日「自分から、自分だけでも、自分のできる」信行ご奉公に励みたいものです。(S・T)
所長・向井日報師が大放光の『新役中入門』(平成14年1月~20年12月)に連載した原稿に少し手を加え、佛立教養の向上を目的として月一回更新していきます。
まず「信心を根とする“公正さ”」を大切に
○はじめに
「大放光」編集責任の方から「今の役中さん向けのものを何か書いてほしい」とのご依頼を受けたのは、平成13年11月も下旬のことでした。以前にも同様のお話があり、その折りは「とても、とても」ということで固辞させていただいたのですが、今回は丁度清風寺で2年間にわたる寺内の「組長研修会」の1年目が終わったところで、「その研修会の内容をもとにしたものでいいから」とのこと。もとより浅学非才、信心も至って未熟であることは自身でもよく承知しており、とてもお役中に対する体系的な講義などさせていただくことのできるような器ではございません。実際、先述の第1年度の7回にわたる「組長研修会」も私が直接担当し講話をさせていただいたのは3回にすぎず、他の4回は他のお教務方にお願いしたほどです。
本誌上での「講話」は今回が初回ですので、まずは「組長研修会」の経緯と概要を略述いたしておきたいと存じます。そもそも清風寺には従来「教育部」という部署は無く、弘通部や教養部が分担して、お役中や、教養各会の研修会や教養会を開催してまいりました。ずっと以前には教務会が担当して『宗徒教範』(本庁刊)等をテキストとする研修会も実施されていた時期もあったのですが、近年はそれは行われず、寺内に「研修委員会」が組織され、そこが中心となって、幹部、教区長、教区役中等を対象とする研修会を、場合によって連合別や教区別に、寝屋川にある「回向堂研修センター」において、1泊2日等で実施してきたのです。講師は寺外・寺内の教講に依頼しておりました。しかし、こうした形態は研修委員会にも負担が大きく、また教養各会ごとの独自の研修も、相互の連けいという点で問題がある、ということで、やはり「寺内全体の教育を統括する部署が必要」という声が、特にご信者の中から大きくなり、先年の寺制改正にあたって新たに「教育部」が創設されたのです。
この部の部長はご信者で、教務会の教学部の執事が参与となっており、過去に幹部、教区長等を対象とする研修会を既に実施しました。昨年の「組長研究会」もご信者の声を大切にしつつ研修内容を策定し、まず寺内の各種の書類の使用法や具体的記入法などを分かり易くまとめた『書式便覧』を刊行した他、これも受講者の要望に基づいて『お助行・回向差定言上文』(組長用)も刊行・配布させていただくことができました。これは「お助行」「逮夜回向」「臨終のお看経」「納棺」「収拾舎利」などの差定・言上文が『妙講一座』を見なくても、その一冊で当該の箇所を頁を逐(お)って拝読・言上ができるようになっているものです。この二種の冊子は、幸い多くの組長さんに喜んでいただいております。 「組長研修会」のテーマは左の通り。
なお研修会は原則として毎月17日(平日)とし、午後7時から8時半までの1時間半。場所は清風寺の大講堂で、ありがたいことに毎回二百数十名の組長さん等が加行していただきました。
毎回資料を配布し、それを綴(と)じてゆく専用のファイルも支給、1年でファイルはほぼ満杯になりました。
○初心者の組長さんを念頭に置いて
研修にあたっては、まだお役に不慣れな組長さんを念頭に置き、できるだけ具体的・実践的であることに努めました。途中で質問も受けましたし、アンケートもいたしました。そうした中で改めて分かったことの一つに、結構ベテランの組長さんでも「初めて意味が分かりました」などということが随分あったことです。
前置きが長くなってしまいましたが、以上のような「組長研修会」のご奉公経験をもととしつつ、この誌上講話を及ばずながら執筆させていただきたいと存じますので、どうか宜しくお願いいたします。
○信心を根とする“公正さ”を大切に
さて、私が開講にあたって、組長・お役中に対し、最初にお話ししたのは、お役中の心得として、まず「公正さ」ということを大切にしてほしいということです。
例えば「組長」(部長)さんは、佛立宗の組織の基本である「組」(部)を預かる責任者です。御宝前から頂戴し、御住職から委嘱された「役」であることはもちろん忘れてはなりませんが、組内のご信者からみれば、何といっても自分の所属する組の代表者であり、指導者であり、責任者であるわけです。ですから組長たる者、自ら信心前を高め、率先垂範に努めることはもちろん、慈悲の心を根とした厳しさとやさしさの両面を兼ね備える努力が大切ですが、もう一つ特に大切にしていただきたいのが「公正である」ということです。組の代表者であり、責任者であるわけですから、組長の指示や言葉は組内のご信者からそれなりに大切にされます。しかし、それだけに、いやそれだからこそ、本当に重んじられ、一定の権威が認められるようになるには、やはりまず「公正さ」が大切だと思うのです。
例えば組内のご信者間で何か問題が生じた時など、組長は双方の意見や言い分をよく聞き、実際の情況をできる限り客観的に把握した上で、必要なら責任の御講師やご住職とも連絡を密にしつつ、公正な態度で対応し、偏(かたよ)りのない判断をすることが大切なのです。そこでは組長の私的な「我(が)」や好悪の感情を極力抑え、根っこのところに信心を置き、御宝前に向かわせていただく心が大切になります。それがご信心に即しつつ、組内に正しい秩序の維持を実現させていただくために不可欠な心得だと存じます。
譬(たと)えが少し大袈裟かもしれませんが、一つの国、あるいは社会など、あらゆる人間の組織や集団にとってまず第一に求められるのはその組織の「秩序の維持」ということです。その為に「法」や「ルール」があるわけです。もしその「法」が偏ぱで不公平なものであったり、組織の指導者が「法」を破って不正なことをしたりすれば、その組織の秩序は到底維持できるものではありません。「法の目的」は「秩序の維持」であり、そのために大切なのは①「法的安定性」と②「具体的妥当性(正義)」であるとされます。少し専門的な言葉ですから、分かり易く説明しますと、①の「法的安定性」というのは、基本的なルールがちゃんと理解され、受け入れられており、コロコロ変わったりせず支持されていることであり、②の「具体的妥当性」というのは、実際的な個々の事例・場面で、誰もが納得できる正しさがあり、平等公平だということです。
右の①も②も「当たりまえ」といえばその通りですが現実の社会では中々理想通りにはゆかないことはご承知の通りです。国際社会で不平等や不公正が高じれば国家間や民族間での戦争やテロが起こりますし、一つの社会・組織内でこれが高じれば治安が悪化し、ついには収拾のつかない混乱になります。
裁判などでよく争われるように、実際には一つの事件や物事でも、見方や観点、立場等によってその見え方も全く違ってくることが多いものです。だからこそ、一つの事件にしても、当事者双方の見解をよく聞き、事実をできる限り客観的に認識するように努力し、可能な限り真実を明らかにした上で、公正な判断、多くの人がなるほどと納得できる判断を下すことが大切になるわけです。
こんなことを言うと、お役中は「これは大変だ。そんな判断や対応など、自分にはとてもできない」としりごみする方もあるかもしれませんが、何も裁判官になるわけではありませんから、そんなに大層に考える必要はありません。ただ、大事な心得として「できる限り公正、公平に」という気持ちを大切にしてもらいたいのです。組内に問題が生じた際、少なくとも、よく調べもせず、確かめもせずに一方的な判断をしないように努め、穏やかに対応する。また、先輩役中さんに前例がどうなっているか、その時の対処がどういうもので、それがどのように受け入れられたか(あるいは受け入れられなかったか)、などを参考にする姿勢も大切です。なお、役務ご奉公全般において、各ご信者の個人的なプライバシーを大切にし、尊重することも、ご信者の信頼を得、いざというとき本当に腹をわって話をしてもらえるかどうかに大きく影響します。
お役中も凡夫ですから、至らぬ所もあれば失敗もあります。しかし、真面目な気持ちで御宝前におすがりし、できる限り公正に、と努力する姿勢さえあれば、きっと組内のご信者も次第に信頼を寄せ、助け、協力してくれるようになるものなのです。
4月の御講席でご供養をいただきながら雑談をしていると、92歳になる坂本さんが「今年もヘチマを植えました」とのこと。今年はヘチマの苗が中々見つからず、庄内中の植木屋さんを自転車で回ったがないので、三国まで買いに行ったとのこと。組内で最高齢の坂本さん、そのフットワークの軽さに一同「へーっ」と唖然。毎年、ご自宅の庭で植えられ秋にヘチマ水を取っては化粧水にして組内のご信者にお裾分け。「ヘチマの実は中国人や沖縄の人は好んで食べられるし、もちろんタワシにもなる。実を収穫して秋口にツルからヘチマ水をとれば1本のツルから一升瓶で7~8本はとれますよ。これを生成すると咳止めの薬にもなるし、アルコールを加えると化粧水にもなるのですよ。市販のものはほんの僅かしかヘチマ水が入っていませんが家庭で作ると純度が高く良い化粧水になるのですよ」と坂本さん。とても92歳には見えない坂本さんの肌つやを見て、一同、納得。
佛立研究所活動報告
自 平成22年4月1日
至 平成23年3月31日
1.第20回研究発表大会
平成23年3月29日 宗務本庁4F宗会議場
宗務本庁教務局・佛立教育専門学校共催
○特別講演
「〈名文〉を書けるようになるためには」
作家・明治学院大学教授 高橋源一郎 先生
○研究発表題目一覧
《佛立教育専門学校》
○開導聖人親教師日耀上人伝考 田村正行
《佛立研究所》
○「常題目」の一考察(実践編)菩薩の壁を乗り越える信心
-菩薩のめざめから真の菩薩へ- 高須昭因
○高祖大士出家の動機とご本懐についての一考察 吉川廣京
○平成29年(2017)開導聖人ご生誕200年
記念ご奉公に向けた新弘通戦略 長松清潤
河野彰国
松本現薫
2.公開講演会
第31回 平成22年4月29日 於)清風寺
「法灯相続におけることばの大切さ」 西村清良
「祖師のまなざし」立教開宗に込められた意義 局 良鳳
第32回 平成22年6月10日 於)照妙寺
「祖師のまなざし」へのアプローチ 局 良鳳
第33回 平成22年8月8日 於)信廣寺
「祖師のまなざし」へのアプローチ 局 良鳳
第34回 平成22年9月4日 於)東北北部布教区
「祖師のまなざし」へのアプローチ 局 良鳳
第35回 平成23年2月20日 於)神戸本法寺
「菩薩の願い」と「教育欲」 向井淳報
第36回 平成23年2月20日 於)京都妙福寺
「佛立菩薩になろう」 前島照力
第37回 平成23年3月5日 於)妙深寺
「佛立菩薩行のルーツ」 前島照力
3.研究員会議と部会
第44回 研究員会議及び教学・弘通部会 平成22年 4月20・21日
第45回 研究員会議及び弘通部会 〃 5月19・20日
第46回 研究員会議及び教学・弘通部会 〃 6月14・15日
第47回 研究員会議 〃 7月22日
第48回 研究員会議及び教学・弘通部会 〃 8月19・20日
第49回 研究員会議及び弘通部会 〃 9月14・15日
第50回 研究員会議及び教学・弘通部会 〃 10月19・20日
第51回 研究員会議及び教学・弘通部会 〃 11月24・25日
第52回 研究員会議及び教学・弘通部会 〃 12月14・15日
第53回 研究員会議及び教学・弘通部会 平成23年1月26・27日
第54回 研究員会議及び教学・弘通部会 〃 2月23・24日
4.御講有との座談会 平成22年5月27日 於)宗務本庁
テーマ 「佛立倍化のために」
参加者 御講有 小山日誠上人
吉田日景・岡居清真・前島照力・高須昭因・河野彰国
石川建信
5.「菩薩のめざめ」 1500冊発行 平成22年7月17日
6.「佛立研究所だより」第15号 1000部発行 〃 9月29日
7.「佛立研究学報」第19号 1000冊発行 〃 11月11日
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